文鳥がいる上野界隈の神社 | 文鳥屋店主 敬白

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 今日は、特に首都圏の文鳥好きの初詣スポットの紹介ですね。・・・初詣にはちょっと遅い気もしますが。

 文鳥は、江戸時代から人気の小鳥なので、神社でもその姿を目にすることがあります。特に、東京の上野周辺は、文鳥愛好者の初詣スポットだったりします。
 まず、上野動物園の横にある上野東照宮の社殿を囲む動植物の彫刻が施され透塀の中に、ちゃっかり文鳥の姿があるそうです(訪問された方のブログ『ララビスのために』さんの記事)。さらに、その間近の上野五條天神社は、鷽替え神事で有名ですが、その際の野鳥ウソをかたどったはずの木像が、クチバシが赤くてどう見ても文鳥です(↓は同タイプの亀戸天神社の鷽鈴)。さらに、動物園の正面から20分ほど、公園を抜けて鶯谷に下って歩いていけば、「小野照さま」こと小野照崎神社にたどりつくはずですが、この小野篁を祀った神社の絵馬↓は、文鳥が筆に乗っているデザインなのです!

 

 状況証拠だけですけど、江戸時代、18世紀後期の田沼時代と呼ばれる頃に、江戸の下町、下谷周辺に、文鳥マニアな文化人がいて、せっせと『文鳥化』工作にはげんでくれたのではないかと思っています。

 たとえば、城西山人巨川こと江戸の旗本大久保忠舒(1722~1777年)という人が、文鳥の飼い方を含む小鳥の飼い方ガイドブックの『百千鳥』を刊行したのは、安永2年(1772年)です。そしてこの人は、浮世絵師の鈴木春信と親密で、その弟子に西洋画(蘭画。「蘭」はヨーロッパのオランダのことです)を描いた蘭学者でもある司馬江漢(1847~1818)がいたりします。その頃の蘭画家として著名な秋田の殿様佐竹曙山(1748~1785)は、文鳥を題材とした作品をいくつか残してくれてもいます。さらに、発明家として有名で、「土用丑の日のうなぎ」を考案したとも言われ、コピーライターでもあったらしい多芸の天才平賀源内(1728~1780)は、やはり蘭学者で同時代の人です。

 蘭学の影響を受けた文化人がたくさん江戸にいて、そこに文鳥の影がちらちらと見えかくれしています。ですので、たぶん、この頃の蘭学サークルでは、文鳥がはやっていたと思うのです。18世紀、時代劇の世界、江戸の長屋に文鳥。素敵ですね。
 

鷽より文鳥似

小野照さまの絵馬


秋田蘭画を代表する佐竹曙山の『竹に文鳥図』