🍀四月。
土の匂いが、わずかにやわらぐ頃。

校庭の片隅では、
まだ冷たい土の下で、
小さな命が、ゆっくりと目を覚まそうとしている。

かつて私は、その季節の中にいた。


四月は忙しい。

形を整える季節だからだ。
時間割、名簿、約束事。

整えられた形の中に、
少しずつ心を流し込んでいく。

だが、忙しさが過ぎると、
形だけが残り、心が遅れてしまう。

言葉は交わされる。
だが、言霊は宿らない。


私はもう教壇には立っていない。

けれど、春の空気に触れるたび、
教室のざわめきと、
子どもたちの視線の重さを思い出す。

 


 

ある年、机の中に、
配布された一台の端末(iPad)が入ったままになっていた。

電源を入れることもなく、
ただ時間だけが過ぎていった。

職員会議では、
隣の画面をのぞき込むしかなかった。

同じ資料を見ているはずなのに、
どこか別の場所にいるような感覚。

皆が当たり前に手にしているものが、
自分には遠いもののように思えた。

かっこよさの向こう側で、
言葉にできない距離だけが広がっていく。

使えなかったのではない。
どう始めればいいのか、
誰も言葉にしてくれなかっただけだ。

気がつけば、
私はその小さな箱ごと、
静かに取り残されていた。


 

 

ある日、土をめくると、
小さな幼虫がいた。

誰にも見られず、
評価されることもなく、
ただ静かに、成長している。

その姿を見て、
ふと思う。

承認とは、何だろうか。


今は、画面の中で多くの言葉が行き交う。
「いいね」という小さな印が、
人の価値を測るかのように並んでいる。

だが、光の強い場所ほど、
見えなくなるものがある。

森の奥でひっそりと鳴く虫の声は、
数では測れない。


 

 

 

教師だった頃、
私は提出物に「検」の印を押していた。

それはただの記号ではなかった。

紙のぬくもり。
インクの匂い。
一言を書き添える、わずかな時間。

そのすべてが、
「見ている」という合図だった。


今は、Google Classroomの中で、
提出も返却も完結する時代になった。

整然と並ぶ記録。
正確な管理。

けれど、そこに
人のぬくもりは残っているだろうか。


 

 

 

承認とは、
光の当たる場所で与えられるものではないのかもしれない。

むしろ、
誰も見ていないところで、
そっと差し出されるものではないか。

落ち葉の下で、
静かに分解が進み、
やがて新しい命を支えるように。

 


 

 

他人の評価は、風のように過ぎていく。

だが、自分の中に灯した小さな火は、
消えずに残る。

たとえそれが、
一匹の虫の命ほどの小さな光でも、
闇の中では確かな灯になる。


「いいね」の数を離れて、
自分の感じたものを、そのまま置いてみる。

言葉は少なくてもいい。

土の中で息をする命のように、
静かに、確かに。

 



 

春の光の中で、
見えないものに目をこらす。

承認とは、
与えられるものではなく、
すでにそこにあるものなのかもしれない。🍓

 

2026.5.1(金)