🍀昔、自分が書いたブログの記事を読み返していた。
8年前の私は、幼い頃のことを書いていた。
夏休みになると、朝から虫取り網を持って野山を走り回った。カブトムシやクワガタを探し、日が暮れるまで友達と遊んだ。
あの頃は、男だからどうするとか、女だからどうするとか、そんなことをほとんど考えていなかった。
ただ、面白かった。
虫がいれば追いかけた。
木に登った。
友達がいれば一緒に遊んだ。
それだけだった。
ところが、いつの頃からか、私たちは「男らしく」「女らしく」と言われるようになる。
男は男らしく。
女は女らしく。
子どもの頃には気にも留めなかった違いが、成長するにつれて少しずつ自分の中に入り込んでくる。
そして大人になる。
学校へ行き、勉強し、仕事をし、結婚し、子どもを育てる。
社会の中で「こうあるべき」というものを覚えていく。
気がつけば、幼い頃の自分からずいぶん遠いところまで来ていた。
教師として長い年月を過ごした。
人に教える立場になり、責任を背負い、周囲の期待に応えようとしてきた。
そして定年退職した。
教員という肩書きを失ったとき、不思議なことに、自分の中から何かが一つずつ剥がれていくような感覚があった。
では、肩書きを失った自分は何者なのだろう。
そんなことを考えるようになった。
63歳になった今、私はもう一度、幼い頃の自分を思い出している。
あの頃の自分には、肩書きなどなかった。
「元教員」でもなかった。
社会的な立場も、老後の不安も、年金のことも、仕事のことも知らなかった。
ただ、虫を追いかけていた。
木の上のクワガタを見つければ夢中になった。
夏の夜、街灯の下に集まる昆虫を見つければ胸が躍った。
今思えば、あの時間には「生きる意味」などなかった。
いや、むしろ、それこそが生きることだったのかもしれない。
虫を見つけて嬉しい。
友達と遊んで楽しい。
日が暮れたから家に帰る。
それだけで一日が完結していた。
大人になった私は、人生に意味を求めすぎたのかもしれない。
仕事とは何か。
人間とは何か。
老後をどう生きるのか。
自分はこれからどこへ向かうのか。
そんなことばかり考えている。
もちろん、それは今の自分に必要な問いなのだろう。
けれど、ときどき思う。
考えることを知らなかったあの頃の自分は、今の自分よりずっと自由だったのではないか、と。
昆虫を追いかけていると、そのことを思い出す。
小さなクワガタを見つける。
木の葉の上にいるハンミョウを見る。
夏の夜、カブトムシが飛んでくる。
すると、一瞬だけ時間が逆戻りする。
63歳の自分が、少年だった頃の自分と出会う。
「お前は、ずいぶん遠くまで来たな」
そう言われているような気がする。
私は少年に答える。
「うん。でも、まだ迷っているよ」
少年は、たぶん笑うだけだろう。
そして、
「じゃあ、一緒に虫を探そう」
と言うのかもしれない。
それでいいのだと思う。
教員としての人生は終わった。
けれど、人間としての人生まで終わったわけではない。
これから何になるのかは、まだ分からない。
何者かにならなくてもいいのかもしれない。
ただ、もう一度、自分の中にいる少年を見つけたい。
性別も、肩書きも、年齢も、社会的な評価も意識していなかった、あの頃の自分を。
そして、少年の頃に虫を追いかけたように、これからも小さなものを見つめながら歩いていきたい。
昆虫は、私にとって単なる趣味ではない。
そこには、忘れていた自分がいる。
そして、まだ見つけられていない自分もいる。
8年前の自分が書いた文章を、63歳になった今の自分が読む。
過去の記事を読み返しているようで、実は過去の自分から現在の自分へ、手紙が届いたのかもしれない。
「あの頃の自分を、忘れないでくれ」
そんな手紙だったのかもしれない。
私はもう一度、自分の人生を歩いてみようと思う。
少年に戻るためではない。
少年だった自分を連れて、下り坂の人生を歩いていくために。🍓2026.8.16(日)記

