「忙中閑有」天気がよい4月最初の土曜日。
例年よりも早く桜が見たくて、
実家近くの「常林寺」に植樹されているエドヒガンザクラを見学。
その美しさに感動するのもつかの間、また忙しい新年度が始まった。
自分は今年度で定年退職となる。
退職後はネイティブアメリカンのように
「自分の足あとを残さないで、今の職場を去りたい」
という願いがある。
よくここまで頑張ってきたと自分で自分をほめたくなる。
職場のブラック化が当たり前になり、終わりのない仕事量。
特に昨年度は、忙しすぎて鬱化が強まる前半、同僚Aから強い口調でパワハラ的行為を受けることがあったり、(前任の)ブラック校長からは目いっぱい頑張っているのに、厳しい指摘や要求を受けたりなど、神経がボロボロになりそうだった。
(同僚Aは、腰の手術のため年度後半から病休中。年度も無事終了したので、次年度分掌確認の校長面談にて、同僚Aから受けたパワハラ的行為を話した。すると、「そんなこと知っていた。三度はAに注意したんだが変わらなかったようだな。本人も自覚がないようだった」という校長の返答。たったこれだけの言葉である。つらかった気持ちを勇気を出して言ったのに、まるで他人事のような態度をとられ、すごく傷ついた。教頭先生を通して報告を受けているのだから校長自身知らないはずがない。知っていながら、勇気を出して自分が言うまで、知らないふりを突き通すその無神経さに情けなくなった。一つ年上のこの人間に対し、「校長」という地位だけで、まじめに従い、まじめに働いた自分がとてもみじめに感じた。
この人間と仕事するのもあと数日と思い、
「次年度も、私が「コーディネーターだ」といいいますが、この学校全体のことを考えた場合、残り1年で退職する私よりも、中堅の人たちをコーディネーターに任命したほうが将来に必要だと感じます」
と最後に進言したのだが、無駄に終わった。
結局、密室での出来事。自分がどんなに傷ついたかは誰も知らず時だけが過ぎていく)
振り返ると、責任感が強すぎる自分にとって、人間関係が最悪な年度でもあったといえる。
家庭においても妻の健康状態の不安が自分の内面を襲い、これから先のことに絶望してしまいそうになることが何度もあった。
落ち込みながらも何とか頑張れたのは、
大好きな昆虫観察と、「セルフ・アイ=デンティティ・スルー・ホ・オポノポノ」における心の師イハレアカラ・ヒューレン先生の言葉があったからだ。
どんなに痛めつけられ鬱状態になっても、大好きな昆虫たちから自然の素晴らしさや生命の美しさを学び続けながら、職場ではひたすら「ありがとう・ごめんなさい・許してください・愛しています」を心の中で唱え続けた。
この2つの心の支えがなかったら、自分は完全に壊れてしまっていたかもしれない。昨年度はそれだけ自己のアイデンティティを痛めつけられながら働いた1年間だったのだ。
今年度も昨年度と立場は同じである。
負担が減ることは全くなく、ブラック校長の定年退職に伴い、スタッフの入れ替わりが多少あっただけ。
自分に与えられた役職における仕事量は昨年度以上に多いのも事実。
仕事が遅い自分は、毎日のように睡眠時間を削りながらも深夜まで持ち帰りの仕事をしているのが現実だ。
もちろん残業手当など全くない。
全てが終わりのないサービスである。
(これが「教育」という名の公的ブラック公務員の実態の一部なのだ)
今も処方された鬱の薬を服用しないと、すぐに不安に襲われてしまう自分。
それでも、定年というゴールがようやく見えてきたので、ひたすら「ゼロ」に向かって進んでいこうと思う。
すべての理解を超えた平穏がありますように。
令和4年4月25日(月)深夜
飛び立つモンキチョウの画像
「春の女神」を始まりとして、
新たな昆虫たちとの出逢いがようやくスタートした。( ^)o(^ )