えーん晴れ 被災から10年以上経過した海岸の砂浜に着く。

大震災当日は、『旧約聖書』創世記のソドムとゴモラのごとく一瞬にしてこの美しき場所が地獄と化した。

自然観察や昆虫観察を趣味としている自分でさえ、「海」を直視することがしばらくできなかった。

しかし、ある昆虫との出逢いがその気持ちを癒してくれた。

 

 

 

 

息子が幼い時、(まだ妻が健康だった時 )

季節を問わずこの砂浜に来て家族で蟹や貝をとったり、海風を感じた。

当時この場所のそばにプールも隣接され、

砂浜も遊泳禁止でなかったから、初めて海での泳ぎも体験させたっけ。

まだ自転車に乗れなくて、ここで練習もさせたなぁ。

ハゼ釣りを息子に体験させたのもここの漁港だった。山育ちの自分ではあるが、砂浜周辺は「第二の故郷」のようにも感じていた。

 

時間の経過とともに、魚料理が大好きなので、復興した商店街や市場に寄って以前のように食事をしたり、食材を買うようにはなったが、(自然豊かで穏やかな気質の人たちが多かった)昔の閖上を知っている自分自身にとって、復興後の人工的な感じ?がする景観に違和感を感じるのはなぜだろうか。大学で地域の在り方を学んでいる息子も同じ気持ちのようである。

 

 

                                                   ナミハンミョウ

 

震災から3年ほど経過してからだろうか。

クワカブの発生木でもある河川敷ヤナギが次々と伐採されたこともあり、ハンミョウのフィールド観察・生活史に力を入れるようになった。その過程において、海岸の砂浜には「カワラハンミョウ」という大変貴重なハンミョウが生息していることを知ったのだ。(昔は「河原の砂地」にも生息していたので「カワラハンミョウ」と称するらしい)

自分が高校生の頃、自転車で海岸までサイクリングしたとき、「カワラハンミョウ」らしき甲虫を確認した記憶があるが、今は全く見なくなった。

 

カワラハンミョウは全国において絶滅危惧種に指定されている。

砂浜的環境が残る局所的な場所のみに生息している海洋性ハンミョウの一種なのだ。海洋性ハンミョウは、陸のハンミョウよりも環境の変化に弱く、人間が砂浜に入り込み続けたら瞬く間にいなくなってしまう。(陸のナミハンミョウも絶滅危惧種に指定している県が多くなっている)

 

海に対する恐ろしい記憶を癒してくれたのが、実はこの「カワラハンミョウ」との出逢いなのだ。

 

 

 

                                                  カワラハンミョウ

 

 

県内においても絶滅危惧種に指定されているカワラハンミョウ。指定といっても、三重県の津市のように条例を設けて保全しているわけでもない。従って、興味がある人なら自由にフィールドに赴いて観察等ができる。中には、標本や転売目的で採集している人もいるかもしれない。

ハンミョウバカの自分は3年ほど前から生活史を知るために個人で

現地調査し、今年も1組のつがいを飼育観察した。個人的な趣味の領域内なので、正確性には欠けるが、3年前に初めて成虫を発見し観察した時よりも成虫の数が、どんどん減少しているのを肌で感じる。ナミハンミョウ以上に減少度が進んでいる。

「何とかしないと・・」

観察するたびに心の声が叫びだす。

「ハマゴウ」「ハマボウフウ」「ハマヒルガオ」のような貴重な海洋性植物に対しては、保全を呼びかけている地域もあるが、昆虫に対してはまだ知名度が低いのかその声が届かないようである。

(閖上海岸は、数年前からハマボウフウの保全を行っているが、カワラハンミョウまでは行っていない。もしかしたら、昆虫について詳しい人が少ないのかもしれない。自分自身、昆虫の「生活史」を学び知るためフィールド観察を重視している。その流れで、「宮城昆虫地理研究会」という団体に入会して4年以上になる。県内のカワラハンミョウの情報はこの冊子を中心に得ている。しかし、団体行動するのが苦手な自分は、(砂浜での釣りが好きな息子にと一緒に現地に赴き)一人で「虫活」をしている。といっても、自分自身で自主的に行っていることは、毎年のフィールドでの観察と、その都度行うフィールドのゴミ拾いぐらいだ。(今回、記事にするのに、人やすごい数のゴミを画像に写すのはためらった。画像の一部を切り取っているので深刻さがよく伝わりにくいかもしれないショボーン)

 

 

 

 

 

 

震災を目の当たりにして、海を見るのが怖くなった自分の気持ちを癒してくれたカワラハンミョウ。第2の故郷としての強い気持ちを思い出させてくれたのもこのカワラハンミョウ。震災後に砂浜的環境が広がったことで生息数が少しは回復したと思ったのだが、防波堤建設や海岸林造成などによる生息地の分断や大規模破壊が進行していて数がまた減少している。

それだけでない、現在は釣りブームに加えて、コロナ禍における自然ブームでたくさんの若者たちが夏になれば遊び感覚で砂浜に来ている。

その結果、いたるところに空き缶やペットボトル等の家庭用ごみが散乱。バーベキューの後始末もしないうえ、花火をした後のごみも広範囲で砂浜に溜まっていた。

息子はいたたまれず、釣りの後に「ゴミ拾いをしたい」と言いだした。(自分も一緒にゴミを拾うのだが、個人の力では雀の涙みたいなものだ)

 

 

 

 

 

 

さらに今年の夏は、最悪な場面を目の当たりにした。

産卵期でもある今年8月。

どこから入ったのか1台のオフロード車が、砂浜それもカワラハンミョウが生息しているところを狙うかのごとく、局所的な場所をぐるぐるぐるぐる走り続けていた。すごく落ち込んだ。

(上の画像に写っている看板は、絶滅危惧種の海洋性植物ハマボウフウの保全を呼びかけている看板。砂浜にはカワラハンミョウ以外にも、貴重な植物や昆虫等が生息している。保護しなければならない大切な場所なのだ)

遠目で画像に写したが一度ならず三度もその様子を目の当たりにした。

(彼らに砂浜の生物保全の大切さを説いても、いつかの若者のように白い眼で睨みつけてくるのが落ち、わざと走り続ける時間を増やすだろう)

 

今年は新しい車輪の跡を例年以上に確認している。

ということは自分が目で確認している以上のオフロード車が入り込んでいるということだ。

ハマボウフウの保全を呼び掛けている看板周辺。(そこから外れると砂浜の面積が狭くなるため)その周りにしかカワラハンミョウはいないというのに・・。

 

 

 

                                            

 

 

今季も活動期に4度ほど通った。しかし、全部でトータル6頭のみの少ない観察結果に終わった。昨年は2度ほど通って3頭。

天候とタイミングが狂ったためなのかわからない。

初観察の3年ほど前は2度とも両手の指の数ほど確認できたのに・・。

やはり、昨年から人がたくさん入り込んだ結果かもしれない・・

 

 

 

 


つがいを一組採取し生息地の砂土を用いて飼育し、詳しく生態を観察することも行っているが、これまで全く産卵まで至らなかった。(過去記事に記しているようにナミハンミョウも大好きな昆虫で、生き餌のダンゴムシの幼体を与えるようになってから、飼育産卵に成功。カワラハンミョウは今回2回目の飼育。昨年は数が少ないため飼育しなかった)

 

 

 

 

 

 

 

 

飼育では、現地の砂土をマットに使い生き餌も与えていた。

上の画像のように、交尾も確認している。

ハンミョウ関係の専門書も参考にし、愛情もって観察し取り組んだ。

 

しかし残念ながら、産卵まで至らなかった。

何がいけなかったのだろうか?

それは自分の飼育が下手なためだろうか?

それとも・・・。

 

 

    (×になったつがいは庭の砂地に埋めて、お墓を作りました)

 

 

 

生まれたての幼虫の巣孔かと思って喜んだら、生き餌のダンゴムシの幼体の穴だったこともあった。

産卵が難しいと、当然数を増やすことも難しくなる。

まして、増えればいいという安易な考えで、個体を他の地域から持ってきて産卵させ増やすなんてことは絶対にしてはいけない。(過去に昆虫のことをよくわかっていない自然保護団体が、ゲンジボタルを増やそうとこれをやってしまったため、他の遺伝子が入り込み、昔から生息していた本種が全滅した例もある。クワカブの放虫を禁じているのはそのためである。まして、ハンミョウは同じ種同士であっても、♀は他の地域の♂との交尾を強く嫌がる。(そのことは数年前に沢沿いと丘陵地のナミハンミョウの比較で実際に確認したことでもある)

 

結局、絶滅危惧種のカワラハンミョウを保全する一番の方法は、この場所を昔のような住みやすい、生息しやすい環境に戻していくこと以外ないのである。

「彼を知り、己を知れば100戦危うからず」という孫子の言葉にあるように、もっとカワラハンミョウについて知らないといけない。そのために自分はつがいを毎年1組飼育しているのであって、最近はやりのヤフオクや、標本という個人の欲を満たすためのみに飼育しているのではないことだけは知ってほしい。自分が一番知りたいのは昆虫たちの「生活史」なのである。

 

 

 

 

 

保全について記すと、「砂浜」という場所のため、夏になるとたくさんの人が出入するためすぐに影響を受けてしまう。震災の時は津波が砂地の面積を増やしたため多少増加したが、コロナ禍におけるここ数年、車中泊やソロキャンプ等のブームで、生息環境にたくさんの若者等が入り込むようになった。

 

 

                        ヤマトマダラバッタ

 

 

同じ絶滅危惧種のヤマトマダラバッタは餌のある植物が生息している砂地に生息するが、カワラハンミョウの餌は小さな昆虫などの生き餌のため植物が少ない砂地にしか生息しない。そのためか、上空からの攻撃に無防備のため鳥などの猛禽類にも狙われやすい。ましてや成虫の産卵期から幼虫の孵化期に、砂浜をオフロード車で走行されたら生息に重大な影響を与えてしまうのは、自分のような素人でもわかること。

カワラハンミョウの保全は、食物連鎖のつながりも考えないといけない。

地味で根気がいる作業でもある。(一人だけでは限界があり、自分自身悩んでいるのだ)

 

 

 

              砂浜の葉っぱに擬態しているショウリョウバッタ♀

 

 

 

 

 

(文を記しながらふと感じたのだが)

もしかしたら・・・、

飼育環境の中で産卵しないのは、震災による津波で亡くなった人たちの

哀しみと無念さが、この小さな個体の中に染み込んでいるからではないだろうか?

 

「亡くなった人は虫に乗って戻ってくる」という言葉がある。

今の若い人たちはそのような言葉など知らないだろう。

しかし、自然の中で私たちは暮らし、自然のサイクルに従って生きている。

人間の世界がどんなに人工的な世の中になっても、「人間」という存在は命ある自然界の一部である。それは、太古から現在、そして未来においても変わらないはずである。

だとしたら、やはり自分一人であっても絶滅に危惧しているカワラハンミョウの保全をこれからも訴え続けていきたい。

 

 

「宮城県某海岸、自分達家族にとって愛する第2の故郷」              

昨年、首長の「復興達成宣言」もあり、建物と経済の「目に見える復興だけ」一人歩きしている感がするが、真の復興は、カワラハンミョウをはじめとする「自然の生態系」が昔のように戻った時であると自分は思うのだ。(安易に「復興達成宣言」などするべきではないと感じる)

 

 

今回は愛するカワラハンミョウに向けての、でくのぼうおやじのひとりごととして聞いてくれれば幸いである。

 

 

 

 

 

☆仕事や家庭等超忙しい中において記事を考え、まとめたため文章のつながりがおかしいところもあります。

カワラハンミョウは、ナミハンミョウのように派手な色彩をしているわけでもなく、淡白な色です。全国的な絶滅危惧種に指定されているため若い専門家も注目している小さな甲虫です。

カワラハンミョウの「体色と生息地の砂色」の関係を論文にまとめた京都大学大学院の山本氏もその一人です。

(先日、ツイッターでハンミョウ飼育の疑問点を応えていただきとても嬉しかったです!(^^)!)

自分は専門家でもありませんし、まったくの素人です。「ハンミョウバカ」の孤独なただのおやじです。しかし、震災という大災害から10年。現在進行形でハンミョウという小さな虫を通して「自然の意思」をリアルに感じているのです。

自分にとって「大切な友でもあるハンミョウ」が絶滅することに対して何もできないままいたずらに時を過ごすことができないだけなのです。

 

なぜなら、「人間」もいつかこの小さなカワラハンミョウのように、絶滅危惧哺乳類になってしまう可能性が全くないとは言えないのですから・・。

 

 

             令和3年10月10日(日)記す 

 

 ありがとう・ごめんなさい・許してください・愛しています 

 

 

!(^^)!追伸、 

 本日久しぶりにTSUTAYAに行ったら、(津波以前)海岸林としてたくさん植樹されていた閖上の松林を「復活させたい」という強い気持ちと、努力の過程をまとめた書籍

 

『松がつなぐ明日』 小林翔太著 2020.12.15発行

 

が山積みしてあったので購入した。

このような本が発行されていたとは正直今日まで知らなかった。

さっそく読んでみよう。ただ残念なのは、対象を「クロマツ」に限っていることだ。本のページでは、砂浜等に生息する生物多様性やごみ問題についても(少ないながらも)触れている。しかし、クロマツだけが大切な樹木のように誤解してしまう人もいるかもしれない。

実際、自分が保全を呼びかけているカワラハンミョウは砂浜に生息している。将来的に、松林は立派に成長したとしても、肝心の砂浜自体が人間によって汚され、環境が破壊され、ごみが増え続け、ついには生物が絶滅してしまったら、

「松林は立派に成長しました。しかし、残念ながら肝心の砂浜の生物は死んでしまいました。生物がすめないほど荒れてしまいました」

となっていくだろう。

植林活動を行った公益財団法人オイスカの人たちだって、そのような結果になることを望んではいないはずである。

 

購入したばかりで、読む時間がなかなか取れないのも残念である。

しかし、カワラハンミョウ等の保全に向けてのヒントがこの本にもあるかもしれないので、NPО(非営利組織)公益財団法人オイスカの人たちと、地元の「海岸林再生の会」の人たちの震災後の10年の記録を時間をかけてじっくりと読んでみたい。(実は私も今から約3年前に、息子と一緒にクロマツの植林ボランティアに参加していたのだ)  

                         

           令和3年10月20日(深夜)記す