私が裁判を起こした理由 第三章 〜生い立ち〜男性から女性へ〜 | ぶんぶんぶん広島

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社交業歴33年今年開店24年目卓球愛好家昼間は街の卓球コーチとして知的障がい者卓球コーチとしてアイナスグローバルゲームス世界大会で男子団体金メダルでした自身も全日本選手権マスターズで奮闘中!英語が得意なママ、英国人先生と更にレベルアップ中最近はフランス語も!

私が裁判を起こした理由について綴っていきたいと思います

長い長いシリーズ化になると思います。ご興味のある方はどうぞお付き合いくださいませ。

 

 

2022年4月25日 東京地方裁判所 第803号法廷にて 第一回口頭弁論が行われました

損害賠償請求事件

民事 第12部乙号A係 (ワ)第3947号

裁判長 成田晋司

裁判官 藤原考基

裁判官 吉田怜来

書記官 武田学

 

 

 

初めまして、改めまして私はしょうこと申します。岡山市内6人家族の長男に生まれる(姉3人)私が物心ついた時には父親はアルコール中毒で精神病院にも母親と一緒に何度も入院させたりと壮絶な幼少期から高校時代迄を生活保護家庭で時にはイジメにも遭いながらも自分ではどうする事もできず地元で暮らす。(時代は不良真っ只中でしたが不良には走りませんでした…そういう性格でもなかったのかな)同時に幼少期(6歳ごろ)から自分の性対象が男性という事で悩む。小学校2年生から高校1年生まで卓球とクラシック音楽と音楽に明け暮れる。(家に帰りたくなく仲間の男子と一緒に居れるため)

高校時代16歳から地元のゲイバーに高校に通いながら3年間アルバイトする。岡山で高校を卒業し、東京の企業に就職。初勤務地は赤坂見附でした。

約半年で社会人という事と自分の性対象を隠さないといけない事に疲れ果て東京を後にし地元に戻る。

関西地区には縁があったことから19歳から大阪で様々なアルバイトをしながら暮らす。

20歳、人生初の生きる事の路頭に迷いニューハーフの世界へ入る。関西で本格的にホステスを始め、1年程をそこで過ごし姉妹店の宮崎のお店へ移籍。穏やかな1年を過ごし広島行きのきっかけとなった方と出会い22歳で広島へ。ぼるどという有名高級ゲイバーに入店後、運命の彼と即出会う(後の婚約者)23歳で去勢手術を受け24歳で大阪の和田形成クリニックで性転換手術を和田耕二ドクターから受ける。5年程で働きましたが、その途中にぼるどを辞め京都の祇園にも1年間働きに行きました。そしてまたぼるどに戻り円満に働いていましたが、些細な事(店でのファッション)がきっかけで27歳で辞めました。退店後2週間後にぶんぶんぶんというスナックを始める。28歳時に性別の取扱い特例法が出来、性別も女性になる。知人の勧めで大きい店に移転しスナックニューハーフパブぶんぶんぶんは、ステージのあるショーパブに変化。気づけば3店舗当時は経営しておりました。ビジネスを進めながら彼と正式に結婚(広島市役所では当時初)するが金銭や男女関係や時間のすれ違いから離婚。店を経営しながら家庭と彼の連れ子の男の子2人を小学生から大学まで育てました。彼と彼の子供との同居14年間は離婚という形で終了し一人暮らしを再開。そんな中(トラブル多)でもお店を経営し続けているときに卓球と再開する。現在籍のHTCという広島でも歴史のあるクラブチームの方々が飲みに来てくださって卓球を22年ぶりに再開し入部させていただき、第一三共ヘルスケアレディース全国大会ダブルスの部や全日本選手権(マスターズの部W40)へも広島県代表として5年連続出場!東京選手権(ショービズの部)へもご縁から現在まで出場させて頂いております。関係者の皆様には感謝しかございません。卓球を進めていると同時に指導者にもなり、そして知的障害者卓球選手ともご縁がありNHKの1年間の密着取材等も受ける。そんな中昨年2019は知的障害者の世界大会にパーソナルコーチとして帯同し、私が帯同した選手率いる男子団体は金メダルでした!私という個性が生かされて少しでも社会や裏の真実を伝えていけることが出来ればと思います。今までも個人的にジェンダー問題、lgbt問題、社会観や夜の世界や障がい者や美や生き方について発信はさせていただいてますが、さらにSNSで生の声でジェットコースターの様な私の人生唯一無二の私を社会的に活かせる場所がここにもあり光栄に思っております。そしてこういう私のブログや行動を通して今、様々な悩み苦しんでる方々の重荷や気持ちが少しでも楽になれば嬉しいです。

 

 

続く…

 

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