3月末からの季節はずれの暑さと

連日の晴天にダマされて

すでに厚ものの寝具を

お洗濯しちゃってた我が家。

 

昨日の急な寒の戻りにも

せっかく洗った毛布を出すのがイヤでそのまま寝たら、

寒くて眠れなかったというおおばか…(T_T)トホホ

 

,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。・:,。゚・:,。

 

 

 

さて

「田原坂西南戦争資料館」の展示で

戦争についてザックリと見てきましたが、

なんせ学校ではほんの数行しか教わっていなかったのでね、

あまりに知らないことだらけだったことにショーゲキ!

 

活字が嫌いな私が関連本まで読んじゃって

読んだら今度は「田原坂を歩きたい!」で

先日行ってきたので、

これから田原坂や近辺の戦跡を

またまた主に画像で辿ります。

やっぱり丸投げしたいだけじゃん(ーー;) ヾ(`・ω・´;) 「百聞は一見にしかず」!

 

 

 

 

ところで田原坂ですが、

ここは下から「一の坂」「二の坂」「三の坂」

そして今は公園になっている

最大の攻防戦が繰り広げられた

頂上付近に至るのですが、

 

薩軍は頂上側に堡塁を築いて

上がってくる官軍を阻止しようとしていましたのでね、

 

※画像はネットからお借りしました

 

 

 

 

坂の下から歩くということは

官軍の通ったルートを辿ることになるんですね。

 

 

 

ということで、

まずは官軍が出撃したという碑が建つ場所へ。

 

 

 
 
 

では出発しましょう。

 

この先は川沿いの狭い道。当時はこんな道が続いていたんでしょうね。

  「豊岡の眼鏡橋」で川を渡ります。  渡った先が田原坂の入り口。

 

 

 

 

ちなみに「豊岡の眼鏡橋」は年号のはっきりしている

熊本県内の眼鏡橋では最古のものだそうで、

田原坂の戦いの時は、官軍はこの橋を渡って

田原坂正面や右翼・左翼に出撃して行ったそうな…。

 

 

 

 

いよいよ田原坂に入ります。

 

入り口の門。うしろ黄色いポールの先が豊岡の眼鏡橋

 

坂の入り口の案内板

 

 

「一の坂」。

 

 

狭くて急で見通しの悪いクネクネ道が続いて、かなりキツい。

乾燥したこの日でさえ、湿った落ち葉のような臭いが…。

 

 

 

 

ここは入るなりかなりの急勾配のうえに

狭いクネクネ道の連続で、

今でこそ舗装されているけど当時は泥の道だったと思うと、
ここをゴロゴロと大砲を押しながら

進んでいくだけでも大変なのに、

林の中からいきなり薩軍が頭の上から

切りかかって来た時は怖かったでしょうね…。

 

 

 

思っていたより急だった坂を抜けたら、

やっとなだらかな「二の坂」。

 

途中には「西南の役戦没者慰霊碑」(そう私たちは「役」と習ったのよ!)

開けたところからは、ここも激戦地だった半高山方面がよく見えました。

 

 

 

 

ちなみに右下の画像ですが、

これは「谷村計介戦死之地」という碑。

 

 
 
 
 

谷村計介サン?どっかで聞いたような…(´・ω・`)

 

はい、前記事の政府軍関係者の写真のトコで

「この方覚えといてね」と言っていたあの人です。

 

実はこの方戦争で活躍されていて(詳しくはコチラ

こうして碑が建てられていたんですね~。

こんなエピソードも学校では習わんもんね~(´_`。)

 

 

 

先に進みましょう。

谷村さんの碑の先からが「三の坂」。

 

今はみかん畑のこの斜面も、当時は官軍が攻め上っていたんでしょうか…。

 

 

 

 

桜が咲いている頂上(公園)はもう少し。

 

ところがホッとしていたらここから再び急な坂で、

けっこうシンドかったうさぎあせる

 

 

頂上に到着。
第一線の碑からゆっくり上ってここまで約40分。

 

頂上付近は桜が満開で、ハラハラと花びらも散ってとてもきれい桜

 

戦争の経緯などが刻まれた「田原坂崇烈碑」

 

 

 

 

 

ここからは上ってきた坂や

 

 

 

 

反対側には半高山方面が一望できます。

 

 

 

 

そして「右手(めて)に血刀 左手(ゆんで)に手綱(たづな)」の

「馬上ゆたかな 美少年」の像。

 


 

 

 

 

ちなみにこの少年に特定のモデルはなく、

戦争に参加したすべての少年兵の象徴なのだとか。

 

でもね、そばにいらしたガイドさんのお話では、

最初この歌で左手(ゆんで)に持っていたのは

「手綱」ではなく「生首」だったそうな…しずくガーンヒ~ッ

もひとつ、「当時は鉄砲戦だったので、馬に乗って戦ってたら

ズドン!とやられていた」とも…^^; たしかに~~・アセ

 

 

もと売店だった建物にあった「戦略図」。字が右からかいてあるのがね~(^□^)

 

 

 

 

 

その先には「慰霊之碑」。

 

近くでは「民謡 田原坂」が流れていました…。

 

向かって右手に官軍

 

 

左手に薩軍の戦没者が刻まれているんだけど、

 

 

 

 

官軍は「都道府県順」(つまり全国から来ていた)、

薩軍はほとんどが鹿児島県の人で

出身地域ごとに分けられていたくらいなのに、

刻まれた数が両軍ほとんど変わらないというのがね…。

 

 

せっかくなので知っている名前を探したんだけど、

なんせ出身地を細かく分けてあるので

出身地域を知らない人はどこにあるのか分からない(;^_^A

 

仕方ないので一面撮って帰ったはずが、

村田新八サンのトコだけ撮れておらず、ザンネン…あせる

 

有名な人のところはみんな触るのか、色が変わってました( ´艸`)

 

 

 

で、その先が「戦争資料館」なんだけど、

前回行ったしお花見の人も増えてきたので

今回は寄らずに坂を下りました。

 

 

ということで

雨は降る降る  じんばは濡れる

越すに越されぬ  田原坂

 

ここはいろいろ思うこともあったし

まだ見ていないものもあるのでね、

これからも時々行きたいと思います。

 

 

次回はそこも激戦地だった

「吉次峠」と「半高山」に向かいます。

 

 

つづく。

 

 

 

おまけ。

県道そばの坂に立つ「田原坂」の文字。

 

 

JRの在来線からも

よく見えますよ~^^