私の住んでいる地域は、市内では標高の高い所だ。ランニングアプリによると、私の家と下界(笑)の標高差は約70m。ところが、この僅か70mの差がバカにならないのだ。今年に入って3回雪が降ったが、うち2回はノーマルタイヤでは出動不能状態に陥った。😱翌日車の屋根に雪がたっぷり乗った状態で下界に降りると、他の車には雪が積もっていなくて恥ずかしい。😅💦

 

 もう雪はたくさん!と思っていたら、昨日今日と昼間は春まぢかを思わせる暖かな日差し。しばしコロナ禍も忘れ、心もポカポカに。本格的な春到来と1日も早い第6波の収束を願って、今日は「春の岸辺で逢いましょう」を取り上げたい。

 

 この「春の岸辺で逢いましょう」は、宏美さんのテイチク移籍後初のオリジナル・アルバム『Happiness』で、「天気雨」と共にアルバムのクライマックスを成す大好きな佳曲である。作詞:秋元利天、作曲:後藤瑞穂、編曲:島 健。

 

 このアルバムは、収録された11曲が全て異なる作家により提供されている、ということは以前にもお話しした。中でもこの曲の作詞・作曲を担当された秋元さん、後藤さんについては、宏美さんとのコラボレーションはこの曲が最初で最後。しかも、ネット上にも彼らについての情報はほとんどない。

 

 さらに私にとって手痛いのは、この時期かなり長期にわたって(アルバムで言うと『Happiness』から『Thanks』まで)ファンクラブ会報を読んでいないのである。うっかり会費の振り込みを忘れ、一旦会員資格を失ったのだ。ちょうど働き盛りの一番忙しい頃で、子どもも小さく手がかかるというか、一緒に遊んだり出かけたりと「構ってもらえる」時期だった。そんなこともあり、そのうちそのうちと思いながら何年も経過してしまった、というのが実のところである。もちろん、その間もCDはちゃんと発売日に買っていたし、首都圏のコンサートには必ず足を運んでいたので、決して宏美さんから離れていた訳ではないのだが。

 

 当時の会報をお持ちの方!もしそこにこの「春の岸辺で逢いましょう」誕生の経緯や、秋元さんや後藤さんの情報が載っているようでしたら、是非教えてください!よろしくお願いします。

 

 さて、そんなわけでこの歌に関しては、音楽そのものと、宏美さんがライナーノーツに書かれたこと以外に情報がほとんどない。その宏美さんのライナーノーツの言葉がまたふるっているのだ。

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 今回のアルバムの中で、この曲だけが思い出に身を委ねています。島 健さんの作ってくれた音の世界があまりに美しく、歌っていても水のせせらぎや朝もやのような白い景色の世界が広がって見えました。出逢えたことに〈ありがとう〉と言える気持ち。ポジティブに生きましょう。

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 以下は私のこの曲についての印象である。桜散る春のある晴れた日の川景色が鮮やかに眼前に広がる、どちらかというと絵画的な楽曲である。そしてそこに、セピア色の想い出の風景がフラッシュバックする。

 

 歌詞の中には「春の岸辺」は出て来ず、「時の岸辺」という言葉が繰り返される。この場所を訪れると、時を旅してあなたと出逢えた春に戻れる。あなたを以前よりも理解できる、ずっと愛してる……。不思議な味わいを持った詞の世界である。

 

 そんな世界を、宏美さんが書かれた通り、古くは1978年のリサイタルで、そして99年にはアルバム『Never Again〜許さない』でピアノを弾いている、島 健さんが素晴らしく静かな高揚感を持った楽曲に仕上げた。シマケンさんのピアノを中心に、ストリングスが加わってくるアコースティックなアレンジ。あくまで中低音中心に宏美さんの温かな声を聴かせておく。そしてクライマックスで一点だけ「♪ 季節が輝くー」で高音に跳ね上がりファルセットを響かせる箇所は、本当に心が浄化されるようである。

 

 

 何かこの歌に関する情報がないかと思い検索をかけた。するとちょっと面白いものがヒットした。一昨年の3月、ラジオ関西の『三上公也の朝は恋人』という番組で「春」ソング特集があり、何とこの「春の岸辺で逢いましょう」が、「春よ、来い」(松任谷由実)、「春の手紙」(大貫妙子)、「春咲小紅」(矢野顕子)という名だたる3曲と共に放送されているのだ。いったいどんな文脈でこの歌が紹介されたのであろう。大変興味深い。

 

(2004.10.16 アルバム『Happiness』収録)