「道化師のソネット」は、さだまさしさんご自身が主演、音楽も担当した映画『翔べイカロスの翼』(1980)の主題歌である。その映画は草鹿宏さんのノンフィクション『翔べイカロスの翼 - 青春のロマンをピエロに賭けた若者の愛と死』(1978)をもとに制作された。

 

 

 写真家志望の青年・栗原徹は、サーカス団員たちの写真を撮り続けるうちにサーカスそのものに魅せられていく。ついには自らも入団しピエロとなって活躍、サーカス団のスターとなるが、演技中のアクシデントにより20代の若さでこの世を去った。(Wikipediaより引用

 

 映画は監督:森川時久、制作:インディーズ。奈良岡朋子・ハナ肇・尾藤イサオ・原田美枝子・倍賞美津子そして三木のり平(本人役)ら錚々たるキャストである。まさしさんは、映画を収録したビデオを見ながらホテルで曲を付けていき、そのラストシーンで「笑ってよ君のために~」という歌詞とメロディーを同時に思い付き、曲を書き上げたと言う。

 

 タイトルにイカロスが出て来るのは、栗原さんにパントマイムを教えたヨネヤマ・ママコさん(この映画にも本人役で出演)が、常識に挑むかのような生涯を駆け抜けた彼を、ギリシャ神話のイカロスに例えてその死を惜しんだためである。

 

 

 私がイカロスの話を知ったのは、小学生の時に読んだ絵本『イカロスのぼうけん』(三木 卓 再話 / 井上 悟 画、福音館書店、1971)によってだった。元々の神話は、人間の傲慢さが破滅を招くことを戒めるという意味があったらしいが、私はその時から、イカロスに対して憐憫の情というだけでは済まぬ、ある種畏敬の念にも似たものを感じていた。その後『NHK みんなのうた』の「勇気一つを友にして」(1975)という歌で、この題材は取り上げられた。この歌では、神話とは逆の教訓【イカロスの鉄の勇気を受け継ぐ】という内容になっている。ヨネヤマさんが、栗原青年をイカロスに例えたのも、もちろんこのような良い意味でであろう。

 

 

 映画の話が長くなってしまった。この主題歌の「道化師のソネット」は、まさしさんの澄んだ声を聴いても、宏美さんの包み込むような歌を聴いても、涙腺が緩んでしまう。瀕死の重傷を負いながら「子どもたちにはショックを与えないように」と言い残したと言う栗原さんの遺志を感じるからだ。この歌を聴くたびに、あまりに短過ぎる一生を駆け抜けた栗原さんのためにも、そして自分のためにも、いつも笑顔でいたいと願わずにはいられない。

 

♪ 君のその小さな手には
 

 持ちきれない程の哀しみを
 

 せめて笑顔が救うのなら
 

 僕は道化師(ピエロ)になれるよ

 

 笑ってよ 君のために
 

 笑ってよ 僕のために

 

 

 まさしさんの凄いところは、この歌がこのノンフィクション映画と切っても切れない内容を持ちながら、歌に普遍的な力を宿していることである。実際、私もこの歌が映画主題歌と知る前から大好きな心に残る歌だった。この歌は、聴く人の生きてきた半生、今置かれているシチュエーション、そして聴く時の心のありようによって、いかようにも聞こえるのだ。純粋に言葉と音楽が持つ力で、聴く人を笑顔にし、また涙させるのである。

 

 宏美さんがこの歌を『さだまさしトリビュート』で吹き込んだ時(編曲:上杉洋史)、バックコーラスもコンサートツアーの面子でレコーディングしている。でも、男声ばかりだったため、制作の我妻由美ちゃんやヘアメイクの田中舞ちゃんにも参加してもらっている。彼女らは、当時のコンサートツアーでこの歌が披露された時も、ステージ脇から登場し、コーラスに参加していた記憶がある。スタッフが歌に参加されることで、何となくステージがアットホームな雰囲気に包まれたことを思い出す。

 

 

 昨年末、私たちの住む街のほど近くにサーカスがやって来た。せっかくの機会なので妻と二人で出かけ、ピエロの姿を見てこの映画と歌を思い出した。

 

 仕事がらみで、そのサーカスのとあるスタッフ一家と知り合った。小説や映画のように日本各地を転々としている子どもたちが本当にいるのだ。その一家の子は年齢の割には小柄な男の子だったが、大人びた雰囲気と、強い意志のある目が印象的な子だった。映画のラストシーンで、他の子どもたちに「昨日綱渡りで落ちたピエロよ、死んだんだよな?」と言われ、「死んでない!生きてる!」と叫んだサーカスの息子・チビ(藤原友宏)を思い出させる目をしていた。

 

(2012.5.23 アルバム『Dear Friends Ⅵ さだまさしトリビュート』収録)