通算で数えると25枚目のオリジナル・アルバムになる『Happiness』所収。作詞:藤田千章、作曲:佐藤竹善の SING LIKE TALKING コンビによる作品は、『FULL CIRCLE』の時の「朝が来るまで」「時間の早さに」以来である。その間、藤田さんの詞だけとか、竹善さんとのデュエット等はあり、復帰以降の宏美さんを支えたお二人である。

 

 編曲の下野人司(ヒトシ)さんは、プロデューサー・ベーシストなどとして活躍、竹善さん、鈴木雅之さんや倖田來未さんへの楽曲提供、レコーディング参加等もしている。宏美さんへの楽曲提供は、この「ひととき」だけのようである。

 

 この『Happiness』というアルバムでは、全楽曲が別の作家により、それぞれ違った幸せの形が書かれている。この「ひととき」では、「♪ 降り注ぐようなシアワセは/このまま重ねる ひととき」という歌詞から分かるように、何気ない日常がシアワセであり、それを見失わないように大切にしたい、と歌われる。

 

 竹善さんのメロディー、下野さんのサウンドはたいそうお洒落(籠島裕昌さんのローズピアノ!)で、ライナーノーツの言葉を借りれば「西海岸の風」。宏美さんの歌い方もドライかつライトであり、新境地を思わせる。無理のない音域(下のF〜真ん中のA)でありながら、キャッチーなサビは大変心地よく、耳に残る。サビ前に1小節余分に加わっている小節が、2番のサビ前だけカットされているのも、カッコ良くて耳を引く(同じ手法は「朝が来るまで」でも使用されている)。

 

 

 また、宏美さんが「竹善君の洋楽的センスの曲には、千章君しか詞をはめられない」と言われているが、この言葉こそがこの曲の特性をズバリ言い当てていると思うのだ。今日はその話を少し深掘りしたい。

 

 当たり前のことだが、英語の歌は、母音の部分にしか音価(楽譜上の時間の長さ)が与えられない。つまり、子音だけの部分には音符が付かないのだ。

 

 これに対して、日本語は基本的にひらがな1文字(或いは「しゃ」などの拗音)が1音節であり、メロディー付けの際には1音節に1つの音符が割り付けられる(「ん」はケースバイケース)。だが、実は日本語も全ての母音を律儀に発音している訳ではない。単語の中、或いは会話の流れの中で、ハッキリ発音されない母音は意外に多い。

 

 この曲の藤田さんの歌詞付けは、その区別が意識的に行われているのだ。2番の歌詞の前半を例に取ると、

 

♪ 守りたもの 望みはひと

 伝えたせに吹き出

 あなたはいだって

 笑い飛ばことの優さを知ってる

 

赤太字にした部分には音価が与えられていない。恰も英語の子音のように扱われているのだ(青太字にした「た」などは、従来のメロディー付けでも一つの音価の場合あり)。一部分を譜面にしてみたので、ご参照いただきたい。最近のJ-POPには詳しくないが、このようなメロディー付け、歌詞付けは近年多く耳にするようになった。だが、宏美さんの楽曲としては極めてレアケースである。

 

 

 私が、日本語では通常の会話の中で、母音を必ずしもキチンと発音しない場合もある、と気づいたのは、大学に入った時である。友人に関西出身の子が何人かいて、いわゆる方言やイントネーションの違い以外に、母音の発音の仕方に特徴があると気づいてからだ。

 

 例えば、私など東京方言を話す人の多くは、「普通(つう)」の「ふ」や、「有楽町(ゆうらちょう)」の「く」などは、ほとんど子音しか発音しないか、母音を発音しても極めて浅くしか発音しない。関西出身の多くの子は、その「ふ」や「く」も母音の[u]をかなりハッキリ発音するのである。そんなことを、仲の良かった奈良出身の女の子と分析して議論したものだ。この藤田さんの歌詞付けによる「ひととき」を聴くと、そんなことを思い出す。

 

【2024.4.28 追記】現在私は日本語教育について勉強している。前段で触れた内容は「母音の無声化」と言い、日本語について勉強している人にとっては周知の事実であった。方言による差も大きく、関西地方は母音の無声化が起こりにくいことも指摘されていた。

 

 

 とまれ、この曲のような、声を張り上げる必要もなく、大きな演奏効果を残すことのできる楽曲は、今の宏美さんにとても合っていると思う。是非またこの SING LIKE TALKING のお二人に再登板いただきたいものだ。

 

(2004.10.16 アルバム『Happiness』収録)