10枚目のオリジナル・アルバム『緋衣草』のラスト前で、深い印象を刻印するナンバーである。作詞:わたなべ礼、作編曲:松任谷正隆。わたなべさんは、ネットで調べても全く情報が見つからなかった。松任谷さんは、ご存知ユーミンのご主人である。宏美さんへの楽曲提供は、同じく『緋衣草』収録の「ひまわり」があるのみである。編曲では、この2曲に加えてシングル「恋待草」がある。

 

 前年のアルバム『Wish』で、都会的AOR路線に乗ったように思えた宏美さんだったが、この『緋衣草』では、草花シリーズということもあってか、再び歌謡曲路線に舵を切ったように見える。作家陣はバラエティに富んでおり、10曲のアルバムで作詞家も作曲家も8人ずつ起用している。

 

 以前も書いたが、このアルバムの楽曲には、全体に都会を忌避するような言葉が散りばめられている。特にこの楽曲は、「誰も知らない駅/町」「名前知らない花」という言葉が現れ、独特な曲の雰囲気も相俟って、その孤絶感たるやこのアルバムの中でも際立っている。

 

 この歌は、宏美さんのオリジナル曲の中では数少ない全編男言葉の歌である。男言葉なのに女性の声で歌われているせいであろう、私にはむしろ男性の言葉に耳を傾ける女性がより強くイメージされるのである。歌詞には「若すぎるというけど」という言葉が出てきて、まるで女性からの「春おぼろ」に対する男性の返歌のように聞こえる。「愛することを止めはできない」から「ぼくとふたりで生きよう」と歌う。何と情熱的な歌なのだろう。

 

 

 私は、このアルバムを初めて聴いた時から、この曲の形容し難い魅力に抗うこと能わず、『緋衣草』と言うとこの曲がイメージされるほどだ。

 

 サウンドは、必ずしも派手ではないが、内に秘めた情熱を表すかのようだ。テンポ感・ビート感も一定程度ある。合間合間やバッキングにはブラスも鳴っている。コーラスも何気に被せてくる。そして間奏・後奏ではサックスのアドリブが冴える。

 

 歌い出しからのメロディーラインは、トニック・マイナーの9thに当たる音で伸ばしている。許されない愛を貫こうとしつつ、不安に駆られる男性の心情を表しているのか。前作では全体にドライな印象だった宏美さんの声が、今作、特にこの曲ではウェットに聞こえる。

 

 ブリッジの部分、「♪ 夜汽車乗り継ぎ 誰も知らない駅に〜」の部分では、ビートも止まってバックの音数が減る。「♪ 夜(hu〜)汽車〜 だ(hu〜)れも〜」という風に、一つの言葉の途中が途切れ、コーラスが入るのも洒脱である。

 

 ビートが戻ってのサビ、「♪ 名前知らない花と 青い風に送られ/君とふたりで降りよう」では、宏美さんらしく歌い上げるのだが、歌詞・サウンドの色彩が強烈で、いつもの「宏美節」とはまた違ったニュアンスに聞こえる。最後の「♪ 降りよーうー/生きよーうー」では、衝撃的なD音のオクターブの跳躍があり、男性の愛情の深さ、決意の固さを感じさせる。さらに、2コーラス目は最後の和音がトニックに解決せず、Ⅵ♭M7が用いられ、絶大なる効果を発揮している。

 

 宏美さんの最後のひと声の余韻が残る中、サックスが唄い、フェイドアウトしてゆく。歌の中では、女性の返答は語られない。だが、この曲を聴き終わる時に私の頭に浮かぶのは、都会や知己から隔絶された土地で、「名前知らない花と 青い風に」温かく包まれた2人が、つましくも幸せに暮らしているイメージなのである。

 

(1981.7.5 アルバム『緋衣草』収録)