「手紙」に続く、岩崎宏美デビュー30周年記念シングル第2弾。中島みゆきさんによる書き下ろし(編曲:西脇辰弥)である。記念シングル+みゆきさん、ということで、宏美さんも相当気合が入っていたように思う。30周年記念ライブ『Happiness』(2004年10月24日)では、発売日よりも5ヶ月も前なのに披露された。これは異例中の異例であろう。

 

 そして、発売翌年(2006年)のアルバム『Natural』ではボーカルを録り直して収録している。その時のライナーノーツに、「シングルの録音では、<大地>を感じながら歌いました。今は<命>を感じながら歌うようになりました」と書かれ、自分の中で育ったこの曲を届けたい、としている。宏美さんが、何をイメージして歌っているかをこんなにハッキリ言葉でおっしゃるのは珍しい気がする。しかも、そのイメージが変化し、成長していったことを明確に意識されていたのだ。

 

 中島みゆきさんご本人が、2006年11月に『ララバイSINGER』というアルバムの中で、セルフカバーをされている。編曲は瀬尾一三さん。お二人のバージョンの違いにも注目しながら、宏美バージョンの魅力を探ってみよう。

 

 まず、両バージョンともキーは同じである。宏美バージョンのイントロはたった6小節ながら、スケールの大きな曲の始まる予感に満ちている。大きく違うのは、Aメロの「♪ 涙なしでは語れぬ日々も〜救われる気がした」の部分を、みゆきバージョンではまるまる繰り返していることである。そこからサビまでは、細かい符割が違う程度だ。サビの「♪ ただ・愛のためにだけ/生きてと言おう」の「る」の音が、宏美バージョンはD音、みゆきバージョンはE音である。

 

 宏美バージョンの2コーラス後の間奏は、西脇さんのハーモニカソロも聴きものだ。みゆきバージョンでは、サビのメロディーをなぞるだけの間奏で、あまり面白味はない。その後の「♪ これが始まりでも/これでおしまいでも〜」の1回目も、宏美バージョンはバックの音数も少なくボーカルも控えめに入り、そこからの盛り上がりのカタルシスがすごく、最後のリフレインに繋がってゆく。

 

 お二人の歌唱をこうして比較して聴くと、宏美さんはスクープする(音を下からしゃくる)のが多いことに改めて気づく。あと、厳然たる「みゆきワールド」があるので、それはそれで素晴らしい完成形ではあると思うのだが、宏美さんはやはり、詩と音楽の流れを本能的というか直感的に理解し、自然にそれを歌で表現する、という能力に絶対的に長けている、と私は思うのだ。

 

 この曲はPVがDVD化されているが、沖縄ロケによるその映像も大変素晴らしく、一見の価値がある。その頃の宏美さんのヘアスタイルは、何というのか私は疎くてわからないが、ミディアムで上の方にボリュームがあり、とても素敵である。強風に煽られる宏美さんのスロー再生は神々しく美しい。😍未見の方は是非一度ご覧いただきたい。

 

 

 さらに、2007年に、宏美さんはチェコフィルと共演した『PRAHA』というアルバムを出すが、それにもこの曲は収められている。小編成(弦楽合奏とピアノ)のアレンジ(編曲:野見祐二)で、そのサウンドは、私にはヴルタヴァ川の流れのように聴こえる。ピアノのキラキラした音は水面に映る日の光だ。宏美さんは、「まったく異なるアレンジに仕上がっているので、口笛吹くみたいに肩の力を抜きながら」歌った、と書いている。オリジナルの力の入った「ただ・愛」もいいが、私はこのプラハver.も大好きである。

 

プラハを流れるヴルタヴァ川

 

 

 また私にとってこの曲は、自分の子どもたちの成長の思い出とも重なっている。

 

 この歌のことを考える時、頭に『ウルトラマンネクサス』が浮かぶ。どうしてだろうと考えて、ようやく分かった。この頃、わが家はようやくビデオ時代からHDD・DVD時代に移行したのだ。元々ウルトラマン大好きの私、息子が少し物心ついてウルトラマンを喜んで見るようになり、リアルタイムで初めて親子一緒に見るようになったのが『ウルトラマンネクサス』(2004年10月〜2005年6月放映)だったのだ。なので、ハードディスクレコーダーのサムネイルに、「ネクサス」と「ただ・愛」が並んでいたせいだろう。😜

 

ウルトラマンネクサス

 

 また、「ただ・愛」を宏美さんが歌っていらした頃、娘はすでに小学校に上がっており、近場の宏美さんのコンサートに連れて行けるようになった。5年生の頃だったか、コンサート終了後、娘に「どの歌が一番良かった?」と訊くと、「ただ・愛のためにだけ」と即答したのをよく覚えている。

 

(2005.3.24 シングル)