20歳になったばかりの宏美さんが吹き込んだ企画アルバム『恋人たち』のトップに収められているタイトルチューンである。洋楽、それもヨーロッパの楽曲ばかり9曲を、オリジナル曲のこの曲と邦楽カバー曲(後にシングルカットする「思い出さないで」)でサンドイッチするという、珍しい構成のアルバムである。知らずに聴いていると、違和感がないくらい、この曲もヨーロピアン・テイストに溢れている。

 

 まず阿木燿子さんの詩が、お洒落すぎる件。

 

♪ コーヒー一杯分の/ほろ苦い時間はあるもの

♪ 手紙にたくした季節を/ブレンドして飲み干して

♪ マニキュアー色分の/鮮やかな時間はあるもの

♪ 小壜に詰まった夕陽の/海を見つめ涙ぐみ

 

 何となく私は、萩尾望都さんの漫画の一場面を見ているような感覚にとらわれる。まぁもしそうだったら、コーヒーではなく薔薇のお茶だろうか。そしてその雰囲気そのままに、イントロそしてボーカルの合間にポロポロと鳴る美しいピアノの音。当時のレコードは演奏者の名前がクレジットされていないものが多いが、このアルバムにはしっかり羽田健太郎さんの名が記されている。

 

 

 当時この曲は、コンサートでも歌われた。私も幸運にも1981〜82年の間に、3度ほど聴いている。そして何と。40年の時を隔てて、宏美さんの生の歌声で再びこの歌を聴ける日が来るとは。2019年8月10日、COTTON CLUB にて歌われ、『Dear Friends Ⅷ 筒美京平トリビュート』にも収録された。その翌月から始まった『残したい花について』ツアーでも、セットリストに名を連ねたのである。

 

 宏美さんご自身は、MCで「40年前の自分と張り合おうなどとはとても思っていない。今の自分なりに歌えれば」と仰っているが、年齢を重ねて深みを増した表現は、オリジナルの若々しく「キラキラした」歌唱とはまた違った良さがある。ある方のブログに、「若い頃も良いし、60代の宏美ちゃんも良いですね〜」と書かれていた。まさに我が意を得たり、である。

 

 COTTON CLUB でニューバージョンを初めて聴いた時、私は「あれ?」と思った。出だしのAメロ(♪どんな忙しい〜時間はあるもの)のコード進行が、聴き慣れたものと全く違ったからである。オリジナル版は基本4度進行(ベース音が4度ずつ上がる、言わば王道進行)である。カバー版はコンサートのパンフレットに「スティング風」と書かれていたが、スティングの有名どころを何曲かYouTubeで聴いてみたのだが、どういうことか解らなかった。ベースは4拍ごとに一音ずつ下がるオーソドックスな感じ。どなたかお詳しい方がいらしたら是非ご教示願いたい。最初違和感があった上杉アレンジだが、聴き慣れてみるとこちらもなかなか落ち着きがあって良いと思うようになった。

 

 

 1980年春、私は大学を受験した。二次試験のため、小さなビジネスホテルに前泊した。その時、まだ私は宏美さんのLPをベスト1枚、ライブ1枚と、この『恋人たち』のアルバムしか持っていなかった。ひと晩も宏美さんを聴かずには過ごせなくなっていた私は、この『恋人たち』をダビングしたカセットテープをその日も持って行き、寝る前にかけていた。薄暗い照明の狭い部屋で、ハネケンさんのイントロのピアノが流れる光景が昨日のことのように頭に浮かぶ。あれからもう40年ーーーー光陰矢の如し、である。

 

(1979.3.9 アルバム『恋人たち』収録)