第2章 マキャベリ「君主論」ナショナリズム前夜 島田雅彦著

 

Kindle unlimeted から。まずは、興味をあるところをと「君主論」について。あわせて、同じくKindle unlimetedの「まんがで読破 君主論 マキャベリ作」も、あらためて読んでみた。マンガのいいところは、全体感を早く、ざっくりとつかめるところである。その上で、書籍などで深ぼったり捉えていくのが、自分はやりやすい。マンガって、素晴らしいコンテンツだ。

 

さて、100分DE名著の方だが、ナショナリズムが生まれたのがフランス革命からだと考えていたが、その萌芽が、ルネッサンス期のイタリアにある(ここでは、フィレンツェ)、そして君主論にその萌芽が感じられると書かれている。それは、自分にとっては新たな学びであった。また、ルネッサンス時期の土壌があったからこそ、その萌芽が生まれたとも。おおもとは、ギリシア、ローマの時代時代なのではあるかと思うが、身近な時代での近現代の萌芽として興味を持てる。

 

その他の視点として、自分は、日本の民主主義は、西洋、特に戦後米国から輸入し、押し付けられたものである、という感覚がぬぐえず、今後もずっと自分たち(ここでは日本人)のモノにするのは難しいのではと思っていたところ。その脱却のためにも、ルネッサンス期の精神(本の中では、一人ひとりが多様性や寛容の精神を持ち、毅然と自由であること)を持つことが必要であると、本は説かれていて、面白い。

 

確かに戦後しばらくたった日本においても、反米や反体制の精神、いわゆる自由な精神で、さまざまな活動があったことはメディアや本で伝えられ聞かされており、いつの間にか、今、「こう」なっている。ここでいう「こう」は、人によって異なる、良い意味でも、悪い意味でも。もちろん自由活動が盛んだった日本においても、良い悪いは、評価はそれぞれだと思う。「今の日本は」、暴力的なことはなく、平和だし。

 

相変わらず自分の立場については、いろいろ考察中だが、これまでパリ一辺倒だったヨーロッパへの興味が、イタリアも行ってみたいと思えたことが新たに嬉しい。行きたい、住みたい場所が増えた。また、イタリアでのルネッサンス期は、日本で言う江戸時代(閉鎖的な時代)と、ある意味近いのかもしれないと思った。ここもまた、いずれ掘り下げていきたい。