PM8時42分
昨日、父が他界しました。
昨日はPM7時〜秋葉原で仕事でした。
水道橋「チャンピオン」さんにて販売。
仕事が終わり真っ直ぐ実家に帰ると、、、
父は、少し呼吸が弱くなりかけていて、
私はとっさに父が好きだった、
大川栄策さんの「目ン無い千鳥」を、
携帯のYouTubeで聴かせました。
聴こえているかな、
届いているかな、
間もなく、父は息を止めました。
まるで、私の帰りを
待っていてくれたかの様に
静かに息を引き取りました。
仕事前の最後のツーショット❣️
お父さん、
最後の最後まで、ありがとう。
しばらくは父との思い出に浸っていたい。
今はまだ、
死を認識するには時間がかかりそうです。
家族葬で静かに父を送り出してあげたいです。
御親戚の皆様、お知り合いの皆様には、
大変、申し訳ありませんが、
コロナ禍で、父も静かに執り行う事を望んでいると思います。🙇♀️
※お花も受付ておりません。
よろしくお願いします。
最後まで、父と携わっていた皆様、
ご近所の皆様、関係者の皆様、会社の皆様、
ありがとうございました。
父は生前、何でも自分の思う様に、
好きな様に、全てやって来ました。
やり通してきました。
もう、何も思い残す事はない事を、、、
祈ります。
周りは散々振り回されましたが、それも今となっては楽しい思い出です。
父は全て有言実行しました。
私の幼少期、うちは貧乏で借金取りに追われ、
小学校を3回も転校して逃げ回っていました。
でも、その当時も、父は「お父さんは本当は大きな別荘を持ってるんだよ、だけど今は、お友達に貸してあげてるんだよっ」
っと、私達姉妹によく、話をしていました。
私はその話を聞くと、「そうか、いつかその大きなお家にすめるんだね」と思い、心が豊かな気分になれたのを覚えています。
私が全日本女子プロレス に入門して、2年目、17才の時、髪の毛を半ハゲにした頃、お父さんと約束しました。
「お父さんも頑張る、お前もその道で頑張れ、どっちが先に成功するか競争だ」と、握手をしました。
私は、悪役で起動に乗り始めた頃だったから、父は自分へのけじめと覚悟を決める為にこんな約束をしたんだと、いま思えば思います。
今でこそ、50過ぎて開業なんて当たり前だけど、その当時(昭和60年頃)は、そんな、何をやっても失敗するだけだと、思われていたと思う。
でも、父はやり通しました。
何度も騙され、裏切られたと思います。
それでも家族を守る為、やり通しました。
私が何をしても勝てないほど、
父は、仕事で大成功しました。
その影には、
母、妹の力、支えがあったからです。
そして、信頼出来る社員に恵まれたからです。
思い出せばキリが無い。
父はいつまで経っても、偉大な人でした。
父の苦労を見てるから、
何でも頑張れます。
プラス、全女での経験があるから、
私は何があっても大丈夫です。
ですが、3日間、休みをもらいます。
父の荷物の整理や、何やら忙しいです。
お宝が出てくるかもしれないし、、、
お父さんの事だから、
最後の最後に、大波乱があるかも。😳
6/20の誕生日を父も楽しみにしていたのに、
それだけが、残念です。
では、また。
YouTubeぶるちゃんねるは、
明日、更新❣️
ぶるちゃんねるスタッフの方々に私の意向は伝えてあります。今まで通り皆様、ぶるちゃんねるをよろしくお願いします。🙇♀️
又、頑張ります。
お父さん、ありがとうね。
。