さてさて…
伊周(これちか)・隆家(たかいえ)兄弟の恩赦適用と、召喚の是非を問うべく…
左大臣道長(さだいじんみちなが)が主宰の許、陣定(じんのさだめ)が開かれました
公卿達の意見は、恩赦適用については全会一致であったものの
都に召喚するかどうかについては…
➀明法家(みょうほうか)に諮問する(専門家の意見を聞く)
②先例を調べる
③帝の裁定(勅定)による
④召喚せず配所に留め置く
上記四つの意見に分かれてしまいました
公卿全員の意見が出たことを受け、議長役であった道長は、自分の意見を開陳せずに、一条帝(いちじょうてい)に参内
陣定の結果を報告したのです
そして、御前を退出した道長は、陣座(じんのざ)で待機していた公卿達に向かって、一条の決定を伝えたのです
➀以前の非常大赦の際、今回の様な流人を、帝が思われる所があって召喚した例があった
②今回も大赦を適用することになったので、召喚すべきである
かくして、伊周・隆家兄弟の大赦適用と都への召喚が決定
道長は大外記(だいげき)の中原致時(なかはらのむねとき)を召して、流人を召喚した使者の例を調べて報告する様、命令を下したのです
以上の如くの結論を得て、陣定は閉会したですが…
件の陣定に出席していた、『黒光る君』こと小野宮実資(おののみやさねすけ)は、その日記『小右記』(しょうゆうき)の中で
『私が秘かに思ったことには、今回の大赦・召喚の件は、既にはっきりしている』
と記しています
即ち、実資は
➀伊周・隆家の大赦・召喚についての結論は、既に出ている
②公卿達の陣定は、これを追認するという名目のもとで開催されたに過ぎない
と察していたのです
一条帝は、今回の懸案を陣定に掛けることに決めながらも、既に彼は…
『伊周と隆家に大赦を適用したうえで、彼等を召喚する』という決断を下しており、内覧左大臣である道長も
予め帝の意向を聞いていた故、陣定で自らの意見を出さなかったのです
恐らく、陣定を開く以前より、一条と道長は、中関白家(なかのかんぱくけ)兄弟の召喚で合意に達しており、公卿社会における
ルールを順守するべく…
➀敢えて、陣定の議題に出して公卿達の意見を聞く
②その結果如何を問わず、兄弟の召喚を決定する
という手順を踏んだのです
陣定を行わずに、彼等の赦免・召喚を決めてしまっては、公卿社会から反発が出ることは必至で、そこは、一条も道長も仁義を
切ったのですが、今回の例に限らず
陣定で出された結論が、そのまま無条件で採用されることはなく…
最終決定権を持つ帝が、公卿達の意見を参考に、決裁を下す訳で、その過程において
彼等の意見に拘束されることはなかったのです
この点では、帝の補佐役である関白又は、准関白たる内覧(ないらん)でも同様で、則ち内覧である道長も、帝に意見具申することは出来ても、帝の決裁に反論したり、これを覆すこと等は出来なかったのです
今回の場合、事前に一条の意向を聞いていた道長が、姉である東三条院詮子(ひがしさんじょういんせんし)の病平癒を祈願する
恩赦の正当性の許、帝の決裁を支持したのですが…
左遷から僅か一年余りで、伊周・隆家が召喚される事態となるとは、正直、道長は予想だにしていなかったでしょうね
予想外だったのは、陣定に出席していた公卿達も同じであった筈で…
『専門家の意見を聞くべし』との意見を述べた、右大臣顕光(うだいじんあきみつ)は、これより以前、娘元子(げんし)を入内させており…
中宮定子の実家である中関白家が復権するのは、顕光の望む所ではなく
『専門家の意見を聞いて、召喚の是非を決めるべきだ』という注文を付けることで
召喚に対して消極的な姿勢を見せたのでしょう
同じく、専門家に諮問することを主張した、参議斉信(さんぎただのぶ)も…
中関白家兄弟が失脚する直接の原因となった、花山院(かざんいん)との闘乱事件を、道長に通報した経緯があり
彼等の左遷が決まった同じ除目(じもく)で、斉信が参議昇進を果した以上…
兄弟が政界に復帰したら、斉信は報復される危険性があった訳で、それ故に、彼も召喚に慎重な姿勢を見せたのでしょう
因みに、『先例を調べてから決めるべし』と主張した大納言公季(だいなごんきんすえ)も、娘義子(ぎし)を入内させている
以上、顕光と同様に召喚に対して、一定の注文を付けたと思われます
そう考えるならば、『帝の勅定によるべし』と主張した、実資や参議の源俊賢(みなもとのとしかた)は
➀陣定でどんな意見が出ても、帝は伊周達を召喚するに違いない
②左大臣殿(道長)も帝の御心に異を唱えられることはないであろう
と今回の案件の落とし所が、何処にあるのかを十分知悉していたうえでの、意見開陳だったと言えます
そして、道長も、一条帝の想いを尊重して、伊周・隆家の召喚を決定したのですが…
中関白家の復権を望まないという一点では、彼もまた他の公卿達と同様であるどころか…
誰よりも忌避しており、事実、道長は早速、対抗策を講じたのです
続きは次回に致します