さてさて…
国母詮子(こくもせんし)の病平癒を願う目的で、発令されることになった大赦(たいしゃ)を
前年の長徳の変(ちょうとくのへん)で左遷されていた、伊周(これちか)・隆家(たかいえ)に適用するするかどうか
その是非を問うべく、一条帝(いちじょうてい)はこの案件を、公卿達の陣定(じんのさだめ)に諮ったのです
この時の陣定の様子は、『黒光る君』こと小野宮実資(おののみやさねすけ)の日記、『小右記』(しょうゆうき)に記されています
(なお、当然ながら、中納言〈ちゅうなごん〉であった実資自身も、陣定に出席しています)
長徳三年(967)四月五日
陣定に先立ち、一条に召されていた、左大臣道長(さだいじんみちなが)が陣座(じんのざ)に戻り、下記の如く、諸卿に伝えました
➀太宰前帥(伊周)と出雲権守(隆家)に恩詔(恩赦)を適用すべきか否か
②召喚すべきではないか
③恩詔を適用するとしてもやはり本所に留めるべきか
④それらについて定め申せ
既にお分かりかと思われますが、今回の陣定の議題は一条より提示されており、太政官『一上』(いちのかみ)である道長は
それを公卿達に伝えて、それぞれの意見を徴する形式を採ったのです
陣定では、序列が下位の者から順番に意見を述べることがルールとなっており、今回の案件についてもそれに則った議論がなされたと思われますが…
日記の書き手である実資は、順番に一人一人の意見を記すことが面倒だったのでしょうか
➀~③の意見について、順位不動で公卿の発言を記録したのです
先ず、➀の伊周・隆家に恩赦を適用すべきかどうかについては…
出席した公卿全員が適用に賛成しました
問題は議題②~③、則ち召喚するかどうかで、この点でも、公卿達の意見は(一人を除いて)召喚に賛成ながら…
その正当性を示す根拠を巡り、意見が分かれたのです
さて、公卿達の発言の詳細は以下の通りでした
1)右大臣顕光(うだいじんあきみつ)・参議(さんぎ)の誠信(さねのぶ)・斉信(ただのぶ)(因みに彼等は同母兄弟)は
『召喚については、明法家(みょうほうか。法律専門の学者)に意見を諮問すべきである』
2)大納言公季(だいなごんきんすえ)・中納言懐忠(ちゅうなごんかねただ)は
『召喚については、先例を調べてから決めるべきである』
3)実資・権中納言平惟仲(たいらのこれなか)・参議の公任(きんとう)・源俊賢(みなもののとしかた)は
『召喚については、帝の勅定(ちょうくじょう)によって決められべきである』
4)参議源扶義(みなもとのすけよし)は
『恩赦を適用しても、配所に留めるべきである』
即ち、配所に留め置くべきであると主張した扶義を除き…
a)専門家の意見を聞く⇒三人
b)先例を調べて決める⇒二人
c)帝も勅定(帝のご決断)で決める➾四人
この様に、条件付きながらも、ほぼ全員が召喚に賛成していたのです
ところで…
『光る君へ』で、この陣定の場面が登場した時…
上地雄輔(かみじゆうすけ)さんが演じる、中納言道綱(ちゅうなごんみちつな)は、何と
『わかりません』と、答えていました
国政に参画する公卿でありながら、大事な陣定で自分の意見が言えないことは
即ち、自分の勉強不足と無能ぶりを人目に曝すことに等しく、道綱は実に大失態を演じた訳です
因みに、『小右記』に、道綱の意見は記されてはおらず、彼はこの陣定を欠席したのかもしれませんが…
推測をお許し頂くならば
道綱は本当に意見を言わなかったのか若しくは、記すに足りない様な発言をしたので
実資は敢えて内容を書かなかったのかもしれませんね
真相は不明ですが、この後まもなく…
道綱に対して、実資が怒りを爆発させる出来事が起こるのですが
それは改めてお話致します
さて、出席した公卿全員が意見を述べた後は
この陣定の進行を取り仕切る、左大臣道長が持論を展開する順番であったのですが
何故か、道長は自身の意見を述べることはなく
『各々が申した趣旨を心に銘じた故、これより御所に参上して、帝に上奏して、決裁を仰ぐことに致そう』
と席を立って、陣定の結果を一条帝に報告に向かったのです
道長が帝に上奏している間、公卿達は陣座で待機していたのですが…
結構、長い時間が経過して、道長が戻って来たのです
さて、一条帝はどの様な採決を下したのでしょうか
既に、ネタバレになりますが… この続きは次回とさせて頂きます