さてさて…
先週の『光る君へ』では…
紫式部こと『まひろ』が、遂に人妻になってしまいました
彼女の生涯で、唯一人の伴侶となった藤原宣孝(ふじわらののぶたか)は、遠縁ながら、又従兄妹という関係でした
宣孝の生年は不明(紫式部も同じですが)ですが、彼は式部の父為時(ためとき)と同年代と考えられ、加えて両者は
花山朝(かざんちょう)期、六位蔵人(ろくいくろうど)として、職場の同僚でもありました
寛和の変(かんなのへん)の結果、為時は六位蔵人と、兼官していた式部少丞(しきぶしょうじょう)の官職を失ったのですが…
無職となった彼とは対照的に、宣孝は六位蔵人こそは解かれたとはいえ、兼任していた左衛門尉(さえもんのじょう)を従前通りに
務めたのみならず
新たに、円融院(えんゆういん)の家政機関である院司(いんつかさ)の三等官たる判官(はんがん)を拝命したのです
この辺りが、為時と異なる、宣孝の世渡り上手な所であったのですが、この後も彼は
正暦(しょうりゃく)元年(990)に、筑前守(ちくぜんのかみ)に就任任地に赴いたのですが…
赴任中の同三年(992)には、九州における重要行政機関であった太宰府(だざいふ)の次官である太宰少弐(だざいのしょうに)を兼官する等、地方官として能吏ぶりを発揮していました
ところで、筑前守任官の経緯について
清少納言(せいしょうなごん)は『枕草紙』(まくらのそうし)の中で
宣孝が息子隆光(たかみつ)と共に、奇抜な装束で金峯山(きんぶせん)詣をしたことを紹介しているのですが
地味な服装で神様祈願をするのが常識であった当時、宣孝は…
➀『派手な服を着て参詣してはいけないとは決まっておらぬだろう』
②『そもそも、目立った衣装で参詣しなければ、神様は願い事を叶えてくれぬではないか』
等と豪語のうえ、人目を惹く様なド派手フアッションで、参詣を敢行したのですが、その後間も無く…
身内の不幸が相次いだ現職の筑前守が辞任するという思わぬ僥倖により
宣孝は大国である筑前国の受領(ずりょう)となり、現地で大いに私腹を肥やすことに成功したのです
この様に、宣孝は些細な事には拘らない、豪放磊落な性格であったと思われ、仕事でも相当の実績を上げていたと思われますが…
その反面、結構、大雑把な面もあった様で、しばしば問題を起こして、譴責を蒙ることも少なくなかったみたいです
とは言っても、その実績により、公卿達の間では
『仕事の出来る奴だ』という高評価を受けていたことも事実で…
筑前から帰国後は、京官(きょうかん。中央政府の官職)の武官である、右衛門権佐(えもんのごんのすけ)として、都の治安維持を管轄した検非違使(けびいし)の重責を担う等、精力的な活躍を見せていました
当時の有力貴族達の日記である
➀『小右記』(しょうゆうき)⇒『黒光る君』こと小野宮実資(おののみやさねすけ)
②『権記』(ごんき)⇒『寛弘の四納言』(かんこうのしなごん)の一人である藤原行成(ふじわらのゆきなり)
等の記事では、しばしば政務や儀式に精励する宣孝の姿が紹介されており、その充実した仕事ぶりが垣間見れます
さて…
紫式部と宣孝は何故結婚したのか
その経緯については、詳らかではなく、想像に任せるしかないのですが…
『光る君へ』劇中では、為時とは職場の同僚であったことから、まひろにとって、宣孝は…
『何でも相談出来る、心強い親戚筋のオジサン』的な位置付けとして、ドラマは進行していました
才能はあっても、聊か『世間知らず』だったまひろに対して、宣孝は
➀或る時は温かく見守り
②或る時は厳しく𠮟りつつ
という態度で彼女に接していたのですが
彼女の著しい成長を目の当たりにすることで、いつの頃からは不明ながら…
『我が妾(つま)に』という想いが強くなり、わざわざ越前まで足を運んで、彼女にプロポーズをしたと思われます
因みに、史実では、紫式部が宣孝の求愛を受ける様になったのは、彼女が父為時の越前守(えちぜんのかみ)としての赴任に同行
した頃と思われ、彼女の歌集である『紫式部集』(むらさきしきぶしゅう)には…
その頃と思われる、両者の間で交わされた和歌が多く収録されています
推測を逞しくさせて頂くならば、長年無官(十年以上無職ということではなかったのですが…)だった為時が…
大国の越前守となったことで、経済面で余裕が出来たことは知悉される訳で…
夫が妻の家を訪れるという、招婿婚(しょうせいこん)が主流であった当時、
為時娘である式部も、漸く婿を迎えられるに至り
予てよりの交誼を通じて、宣孝の人物を知る為時は、娘の婿として彼に白羽の矢を立てたと思われます
式部と宣孝の年齢差は、二十歳以上はあったと思われますが…
当時としては、それ位の年の差結婚は珍しいことでなく、寧ろ式部は
よく知っている『オジサン』であるという、安心感の方が強かったのではないでしょうか
式部が越前滞在中、宣孝は彼女に文を出し続けているのですが…
➀為時の越前での生活が安定するまで、式部は父の身の回りの世話を行う
②頃合いを見て、式部は単身都に帰って、宣孝と結婚する
恐らく、為時の越前赴任以前の段階で、宣孝と式部の結婚話は、概ね決まっていたと思われます
宣孝については、また別の機会に触れさせて頂きます