さてさて…
本来なら、闇に葬られる筈であった、『花山院闘乱事件』(かざんいんとうらんじけん)が…
宮廷社会の知る所となった理由として
何者かにより告発があったと考えられます
『黒光る君』こと、小野宮実資(おののみやさねすけ)の日記である『小右記』(しょうゆうき)には
『右大臣(道長)から花山院(かざんいん)と内大臣(伊周)の従者同士の衝突の一件を聞いた』と記されており
実資は道長より事件の情報を知らされています
では、誰が道長に事件をリークしたのかと言えば、史料等ではその人物を特定することは難しいのですが
事件当時の状況等から推測すると、当事者に近い立場にあった人物による告発以外にはあり得ず…
伊周と花山院が通っていた、故為光(ためみつ)の三の君と四の君の兄である
蔵人頭斉信(くろうどのとうただのぶ)こそが告発者である
というのが通説であり、真相に近いのではないかと思われます
事件の被害者である花山院は、世間体を憚り、騒動が公になることを望んでおらず…
恐らく、妹である四の君への逢瀬の手引きをしていたと思われる斉信は、院の不拡大方針の意向を尊重して
事件に蓋をすることも出来た筈です
但し、もう一方において、この事件は、斉信に大きなチャンスをもたらしたとも言えます
そのチャンスとは…
中関白家(なかのかんぱくけ)の兄弟が、軽率にも引き起こした事件を、彼等の政敵である道長に伝えることで、彼に恩を売る
即ち、自らが望んで止まなかった、公卿への昇進を果すというものでした
以前もお話しましたが、道長が政権を掌握した最初の除目(じもく)で、蔵人頭であった斉信は参議昇進を望んだのですが…
参議の座は、先任の蔵人頭である、源俊賢(みなもとのとしかた)の手に帰してしまいました
これ以前にも、斉信は蔵人頭人事でも、俊賢に先を越されており、次回の除目では、何としても参議昇進を果したい
斉信は心中期するところがあったと思われます
『光る君へ』劇中でも、金田哲(かなださとし)さん演じる斉信が、道長に対して…
『俺を参議にしてくれよ』と頼むシーンがありましたが、道長は彼の願いを容れずに、俊賢を参議に昇進させました
俊賢の有能さを高く評価した故の、参議抜擢であったのですが、一方で道長は、妻である明子(めいし)の兄でもある彼を…
自分の陣営に繋ぎ留めておきたいという思惑もあったと思われます
意気消沈状態の斉信対して、道長は『此度はすまぬ』と慰めていたのですが、蔵人頭が公卿への登竜門であったことからも…
次回の除目における、参議の最有力候補は、斉信であったことは、間違いなかったでしょうね
しかし、寛弘の四納言(かんこうのしなごん)の中では、並々ならぬ出世への執念を有していた斉信は…
酒の席での口約束だけでは安心せず、道長に決定的な利益をもたらす情報を手土産にすることで
彼に恩を売り、参議昇進を確実なものにしようと目論んだのでしょう
事実、事件から三か月程経過した、長徳(ちょうとく)二年(966)四月二十四日の除目では
➀伊周を太宰権帥
②隆家を出雲権守
という左遷人事が発表されたのですが
同じ除目で、斉信は参議に任命されており、このことからも、中関白家の失脚に、斉信が大きな役割を果たしたことが垣間見れるのです
因みに、中関白家全盛期においては、斉信はその恩恵に与るべく、道隆(みちたか)・伊周父子の接近を図っていました
特に、中関白家の栄華の象徴であった中宮定子(ちゅうぐうさだこ)の女房サロンに、斉信は頻繁に足を運び、和漢両籍に秀でた
才能を如何なく発揮
定子サロンの常連となっていたのですが、そのサロンの女房達の中で、最も斉信が親しくしていたのが…
『ききょう』こと、清少納言(せいしょうなごん)だったのです
清少納言の『枕草紙』(まくらのそうし)の前半では、斉信が頻繁に登場しており、清少納言とも昵懇な間柄であったことが窺われ彼に対しては、彼女も相当心を許していたのかもしれません
しかし、中関白家の栄華に翳りが見える様になった時、斉信は同家に見切りを付け、道長への接近を図ったものと思われます
道長にとっても、政敵である中関白家の有力者が集まる定子サロンの動向には、関心を寄せていた筈で…
斉信を間者(スパイ)として、伊周兄弟の情報を得ようとしても、何ら不思議はありませんね
そういうスパイ活動のミッションを道長から任せられていたならば
中関白家の失脚に直結する不祥事を、斉信が握り潰す事等はあり得ず…
自身の公卿への出世との交換条件として、即座に花山院闘乱事件の一報を道長に知らせたというのが
真相に近いと思われます
こうして、一人の男の出世欲により…
中関白家の没落の扉が大きく開かれてしまったのです
続きは次回に致します