さてさて‥
自分に対して不服そうな表情を見せていた、詮子(せんし)に対する、兼家(かねいえ)の恫喝についての考察の第二弾です
何と言っても、自分が腹を痛めて産んだ、一粒種の懐仁(やすひと)の即位がなくなってしまえば…
夫 円融(えんゆう)から受けた冷たい仕打ちや、『素腹の后』(すばらのきさき)こと、関白頼忠(かんぱくよりただ)の娘遵子(じゅんし)に中宮(ちゅうぐう)の座を奪われる等、屈辱に耐えて来た今までの日々が、全て水泡に帰してしまう訳で…
そうなっては、彼女自身の存在価値すら、喪失させられることになってしまうからです
因みに、ここまで私のお話しを読んで頂いて…
懐仁は兼家にとって、可愛いい外孫である筈なのに、いくら娘の詮子が不服そうな態度を見せていたとは言え
何故『懐仁様の即位はないぞ』と詮子をこぴっどく恫喝したのだろうか
疑問に思われた方も多いかと思われます
兼家が詮子に対して、あれだけ厳しい言葉を投げつけた背景には
彼には、懐仁以外に、皇位を継がせられる別の外孫を、複数擁していたからだったのです
『光る君へ』では、恐らく今日の放送辺りから、その存在がクローズアップされて来るかと思われますが…
実は兼家には、詮子や道長と母を同じくする娘が一人いたのです
その娘こそ、以前にご紹介した、正妻時姫(ときひめ)出生の長女超子(ちょうし)であり、彼は兼家がまだ公卿(くぎょう)にも
なっていなかった、安和(あんな)元年(968)に、円融の兄である冷泉帝(れいぜい)に入内(じゅだい)させていたのです
超子入内の翌年、既に冷泉に入内していた、兼家長兄の伊尹(これまさ)の娘懐子(かいし)が、第一皇子師貞(もろさだ)こと花山(かざん)を産んだのですが、それから七年後の天延(てんえん)四年(976)…
超子は第二皇子となる居貞(おきさだ)を出産したのです
既に、弟円融に譲位していたとは言え、太上天皇(たいじょうてんのう)たる冷泉の皇子を儲けた意義は極めて大きく、兼家は傍流でありながらも、冷泉皇統に自身の血を引く外孫獲得に成功したのです
更に超子と冷泉は琴瑟(きんしつ)相和する夫婦であったみたいで、居貞の後にも…
➀第三皇子為尊(ためたか)⇒貞元(じょうげん)二年(977)誕生
②第四皇子敦道(あつみち)⇒天元(てんげん)四年(981)誕生
上記の皇子を相次いで産んでおり、まさしく超子は最高の結果を以って、父兼家の期待に応えたのです
因みに、敦道誕生の前年には、円融に入内していた詮子が懐仁を出産しており、この段階で兼家は…
冷泉皇統に三親王、円融皇統に一親王という、何れの皇統にも外孫(それも四人)を擁することになったのです
この数年前には右大臣に昇進していた兼家ですが、自分が庇護する外孫の誰かが東宮になれば、近い将来の外祖父摂政の座がいよいよ視野に入ってくる訳で、遵子を円融に入内させながらも皇子を儲けられない関白頼忠を始め、娘倫子(りんし)を円融後宮に
送り込まない左大臣源雅信(みなもとのまさのぶ)達、政界のライバル達に比べて…
後宮政策では、頭二つ以上抜きん出ていました
但し、兼家は二つの皇統のうち、超子を入内させた冷泉系を重視しており、彼女が産んだ三人の皇子を後宮政策の要に考えていたのですが…
好事魔多しというのか、そのことが…
懐仁誕生を機に、一代限り皇統からの脱却を目指す円融より、『二股をかけているのではないか』と疑念を抱かれる仕儀と
なった結果、懐仁生母であった詮子は本命視されていた中宮の座を逸してしまったのです
更に悪いことに、中宮争いが熾烈を極めてた最中に、超子が兄弟達と催した庚申の遊び(こうしんのあそび)の最中に急逝する
という悲劇に見舞われ、姉の喪に服するため、詮子が内裏を退出して実家の東三条殿(ひがしさんじょうどの)に下がっている間隙を衝いて…
円融は遵子を中宮に冊立
あたかも騙し討ちにあったかの仕打ちを受けた兼家は、詮子と懐仁を東三条殿に留め置き、内裏へ還御させなかったのです
すったもんだの末、懐仁を人質に取られた円融は、兼家の退位要求に応じる代わりに、懐仁を東宮に立てることを承認させたのですが、外孫の東宮擁立は兼家にとっても願ったりであることは言うまでもなく…
この後、円融(父院)・兼家(外祖父)・詮子(東宮生母)の三人は、冷泉嫡流でありながら、政権基盤が脆弱な花山が皇子を儲けないうちに退位させるべく、提携したのです
(しかも、花山を出家させて、今後皇統から完全に排除するという、徹底した手法を用いたのです)
『光る君へ』ドラマでは、兼家のやり方に反発を隠そうとしない詮子に対して…
➀父の言う事を聞かなければ、懐仁様は即位出来なくなるぞ
②仮に、懐仁様を即位させずとも、我が家には亡き超子が遺した三人の親王様がおられる
③其方(そなた)がワシのやり方に不服があるならば、超子の産んだ第一子の居貞様を即位させるまでだが、それでも良いのか
劇中では、②と③については言及されていませんでしたが、兼家は花山退位後の帝に懐仁を即位させ、同時にその東宮には…
両統迭立(りょうとうてつりつ)の原則に則り、冷泉系の居貞を立てる構想を描いていた筈で
詮子が文句を言うならば、懐仁を差し置いて、居貞を即位させても構わないという選択肢もあったのかもしれません
但し、既に懐仁を東宮に立てながらも、次期帝に擁立しないことになれば、今上帝と東宮、どちらもその地位を失うという
前代未聞の事件になってしまう訳で…
花山を退位させるという点において、(暗黙の)支持を表明していたと思われる、有力公卿達の反発を招きかねず、更には…
懐仁即位を自分達以上に熱望している円融が、黙っている筈がなく、流石に懐仁即位させない訳にはいかなかったでしょう
あくまでも、懐仁即位の暁には、国母(こくも)になる詮子が、今後独自の行動をしない様…
警告や牽制の意味合いが含まれていたのでしょう
かくして、寛和の変(かんなのへん)は、兼家ファミリーの一致団結のチームワークのもと、見事な成功裡に終わったのですが…
詮子の心中には、父親に対する憎悪の念がより一層募ったと思われます
兼家に一蹴された、源(みなもと)との繋がり…
既に構築した、源雅信⇒倫子とのパイプだけではなく
今一つの源との繋がりを作るべく、詮子は水面下で動き出していたのです
その視線は、信用できない親兄弟の中で、唯一信用している、末弟道長に注がれていたのです
本日は、ここまでに致します