兼家と詮子の同床異夢的な関係(「源等は何の力にもならぬ!」という兼家発言の真意とは?) | タケ海舟の歴史事件帳

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さてさて…

 

巷では、先週の『光る君へ』衝撃的なシーンが、相当話題に上っていますね?

 

『NHKも攻めているな!!と私も驚かされたのですが、今回の脚本を書いている大石静(おおいししずか)さんは…

 

かなり際どい所を確信犯的に衝く傾向がある方とのことで、改めて腑に落ちた次第でありますポスト

 

そのせいなのかどうか?分からないのですが、劇中の本題であった寛和の変(かんなのへん)における、花山帝(かざんてい)

出家の場面が、比較的淡白に描かれていて…

 

気が付いたら、頭を丸めていて、更に共に出家してくれると信じていた道兼(みちかね)にも裏切られた挙句元慶寺(がんぎょうじ)に一人取り残されるという悲惨な結果が、ワンシーンで描かかれていました拍手

 

因みに、僅か十八歳法皇(ほうおう)となってしまった花山院(かざんいん)は、この後二十四年の隠居生活の日々を過ごすことになるのですが、不本意な結果であったにせよ、帝という制約から解放された花山は…

 

仏道修行や多彩な趣味を楽しむことに残された生涯を費やすことになったので、その点ではそれなりに充実していた後半生を

過ごせたのかもしれませんねOK

 

(但し、この後も度々、波乱を巻き起こすことになる様ですが…ドクロ)

 

さて、本日は、『光る君へ』前々回の放送で、仮病を装っていた兼家(かねいえ)が、子供達に対して花山退位計画を明らかに

する場面について、私見を交えてお話致しますOK

 

仮病とは知らず、(道兼を除く)兼家の子供達は、交代で父の病床に付き添っていたのですが、同じ兄弟とは言え時計

 

それぞれの思惑は異なっていましたおいで

 

特に、詮子(せんし)は父の手を取り涙を浮かべつつも…

 

『父上に万一に事があってても、懐仁(やすひと)の後見(うしろみ)には源(みなもと)が控えておりますので、安心してお逝き下さいませ電話

 

と語り掛けていましたが…あせる

 

その瞬間、かっと目を開いた兼家が

 

『まだワシは、死ぬ訳にはいかぬぞ!!と言った瞬間の、詮子の狼狽振りと、甲高い悲鳴は

 

吉田羊(よしだよう)さんの名演技でしたねうずまき

 

そして…

『ここからが我が一族の正念場である!皆心してワシについて参れ!

 

と兼家のごっとファーザー振りが如何なく、発揮されていたのですが、道隆・道兼・道長が平伏する中、一人詮子だけはパー

 

どこか不満そうな表情を浮かべていました丸レッド

 

それを見た兼家は

 

➀源(左大臣源雅信:さだいじんみなもとのまさのぶ)等は何の力にもならぬガーン

 

②ワシに従わなければ、懐仁様の即位もないぞ!!

 

と、それまで東宮母として尊称を用いていた娘に対して、本来の父の言葉で一喝していましたOK

 

異論を許さない父の恫喝に、詮子も渋々ながら同意したのですが…

 

➀の源雅信については、太政官筆頭(だじょうかんひっとう)左大臣で尚且つ、宇多帝(うだてい)の孫という高貴な血筋であることは、藤原氏を始めとする他の貴族達の追随を許さなかったのでした注意

 

但し、雅信自身は、非常に政務儀式に恪勤(かっきん)した優秀・篤実な人物であったのですが、政治的な野心は少なく

 

加えて後宮に自分の娘を入内させていないこと等から、強引に政権を奪取する迄の必要性はなかったと思われます叫び

 

それ故に、(劇中で)いくら詮子に半ば脅されて懐仁を支えると約束されられたとしても、懐仁との外戚関係が無い以上

仮に兼家が亡くなったとしても、危険を冒してまで後見に乗り出すことは考え難かったと思われますドクロ

 

政界三巨頭の一人として、兼家は雅信の人物を十分知悉しておりあし

 

『重大な局面では、優柔不断な姿勢に終始して、あまり頼りにならないだろうピンク音符と看破していたと筈で四角オレンジ

 

それ故に、詮子に対して認識の甘さを指摘するかの様な、➀の発言に繋がったのでしょうバツブルー

 

そして、②についてですが、寧ろこちらの方が、➀よりも遥かに詮子の胸に応えたと思われますNEW

 

この続きは次回とさせて頂きます目