さてさて…
『光る君へ』、第一回の放送について…
視聴者より、様々な反響があった様ですね
ラスト数分で描かれた…
①まひろ(紫式部)の母(ちはや)の唐突な退場
②それが、まさかの藤原道長(ふじわらのみちなが)同母兄の道兼(みちかね)による殺害
③妻の死の真相を知った父為時(ためとき)が漸く手にした仕事の喪失を避けるべく、敢えて死因を病死としたばかりか…
それを娘のにも認めさせようとしたこと
④当然ながら、まひろは認めることが出来ず、父親との間に大きな溝が生じてしまう
これに尽きると思われますが、その他にも、今後のドラマ展開に向けた伏線が、沢山張られていました
この伏線については、今後このブログでお話する予定です
さて、今回は、紫式部のお名前について触れたいと思います
前回の記事でも説明致しましたが、彼女の実名は不明
すっかり人口に膾炙している、紫式部という名前についても、いつ頃から知られる様になったのか
正確には不明ですが、有力な説の一つに…
『源氏物語』ヒロインである『紫の上』(むらさきのうえ)の『紫』(むらさき)から取った
というのがありますが、彼女が『源氏』執筆中に、道長長女彰子(しょうし)の女房として宮中で勤務することになってから、同僚の女房達から呼ばれる様になったかもしれません
更に推測を逞しくさせて頂けくならば、
①彼女の雇い主もあり、後援者でもあった道長
②直接仕えた彰子(中宮)
③彰子の夫であった一条帝(いちじょうてい)
上記三人の誰かであるという可能性もあり、興味深いですね
但し、同時代の史料である、貴族達の日記である『古記録』(こきろく)等には、彼女を『紫式部』とは記しておらず…
その代わりに、『藤式部』(とうしきぶ)とか、『藤原為時の娘』等と明記されています
前者は、道長の日記である『御堂関白記』(みどうかんぱくき)、後者は道長のライバルである、藤原実資(ふじわらのさねすけ)の『小右記』(しょうゆうき)に記述があり、リアルタイムでは紫式部という名前は出回っていなかった可能性が髙いですね
次に、名前後半の『式部』ですが、これについては、当時の女性の仕事上の名前(源氏名とでもいうべきか…)として
その女性の父親、若しくは男兄弟の役職名から起因しているのです
彼女の父である為時が、かって当時朝廷において教育関係の仕事を担当していた『式部省』(しきぶのしょう)という役所の
三等官である『式部丞』(しきぶのじょう)を務めており、父の帯びていたその官職を女房名(女官名)としたと思われます
こちらの方は、その時代の女性の先例も多く、前半の名前よりはずっと真実味があるのですが…
(他の女性の例は、何れ機会を改めて)
一つだけ不明な点を挙げるとすれば、彼女の同母弟(若しくは兄)である惟規(のぶのり)が、父と同じ『式部丞』の役職に就いていた時期があり、父と弟、どちらの『式部丞』を取ったのかが詳らかではないのです
しかしながら、為時の式部丞在職時は、娘の式部は未だ幼年時代であり、対する惟規の在職時は彼女の女房としての勤仕時期と重なる可能性が髙く、後者が帯びた官職を女房名にしたと考える方が、極めて妥当ですね
因みに、道長が日記に記した『藤式部』は、申すまでもなく、式部の姓である藤原の『藤』から取っており、一方の実資が記した『藤原為時の娘』は、これも為時の娘である式部のことを指している訳で、当時としては寧ろ後者の形で認識されていたと考えられます
尚、この時代に限らず、昔は女性の名前について、同時代の史料等にも殆ど明記されていないばかりか、実際名前を知らない
ケースが大半でした
現在の感覚では信じられないと思われますが、この傾向は女性の身分が高くて同様なのです
女性の場合、
①帝の妻として宮中に入内(じゅだい) 或いは…
②宮中仕えをして、功績有りと認められた場合等
上記等のケースに位を与えることになるのですが(但し前者は入内前)、その命令書に記す女性の名前が必要になる為
漸くこの時点で名前が命名されるか 若しくは…
『お名前は何と言われるのか』という問い合わせがされる訳で、そういうレアなケースに行き当たらない大多数の女性は…
他人(家族や親族を除き)に本名が知られないまま、一生を終えることになったのです
因みに、名前の読み方なのですが、リアルタイムで呼ばれていた読み方が、後世に伝えられていない場合の方が圧倒的で
歴史研究者の間では、当たり障りのない音読みで呼び、専門の研究論文は勿論のこと、一般向けの書籍でもこれを模倣して
いるの現状であるのです
(但し、古記録等の史料に稀に読み方が記されている時も、僅かながらありますが…)
聊か長くなってしまいましたが…
次回は学者の先生方が、昔の女性の名前をどの様に決めていたのかをお話致します
何卒お楽しみに