飛行服夜話 第十五夜 「勇者の鎧 R-1B」 | 飛行服千夜一夜物語

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どんなフライトジャケットにも、袖を通した者と歩んだドラマがあるもの。
飛ばなくなったフライトジャケット達との思い出話と、そこに秘められたヒストリーを紹介します。

 こんばんは。

 紫陽花が綺麗な季節になり、通勤途中に楽しませてもらっています。

 私の小さい頃は、紫陽花というとカタツムリのイメージもありましたが、近年、カタツムリの姿をほとんど目にしなくなったように感じます。

 こういう生き物は環境の変化に弱く、長距離の移動も困難なので、一度その地域からいなくなると、なかなか復活することができないんだそうです。

 

 さて、今回のテーマはR-1Bというフライトジャケットです。

 カタツムリはいるところにはいるのかもしれませんが、このジャケットは珍品で、目にすることがほとんどありません。

 前進のR-1とR-1Aは大珍品で、コレクターでも現物を目にしたことのある人はかなり限られるものと思います。


 正式名称を「JACKET FLYING TREE JUMP TYPE R-1B 」と言います。

 R-1シリーズは、米陸軍航空隊/米空軍のAir Rescue Serviceパラレスキューが、山岳森林地帯などのラフな地形にパラシュート降下をする際に着用するものです。

 同名のR-1Bトラウザーズと併せて、スーツとして着用し、ヘルメットも専用のものを用います。

 製造期間は1950年代の中期から1960年代初期頃と思われます。


 それではR-1Bジャケットを見ていきましょう。


 全体的に分厚いコットンダック地でできています。イメージ的には空手や柔道の道着のようです。

 肩と肘にはフェルトのクッションが入っています。

 全体的に大きめなつくりで、結構重いです。

 袖先と裾は、スナップボタンですぼめれるようになっています。

 

 襟は木の枝から首を守るために、立てて使うのが基本です。2個のスナップボタンで止めます。



 背中は全面にフェルトのクッションが入っています。全体的に引っかかりそうな部分がありません。



 ジッパーはコンマーです。

 R-1ジャケットは一般的なフライトジャケットと逆で、上から下に閉めます。


 開いてみると、ライニングというものはなく、内ポケットの類もありません。

 襟元に太いハンガーループが付いてます。

 


 スペックはラベルではなく、ハンガーループの下に黒いインクで印字されてるだけです。

 メーカー名はわかりません。


 下はR-1Bトラウザーズです(私は所有していません)。

 一般的なフライングトラウザーズと同様、2本のジッパーで完全に開くことができます。

 写真のものにはありませんが、両脚の付け根に部隊でD環を縫い付けたものがあります。


 下の図はR-1Bの後継のCWU-14/PジャケットとCWU-15/Pトラウザーズのものですが、R-1も同様の使い方をするので、イメージとして紹介します。

 通常は地面に着地しますが、木の上に着地(着木?)した場合は、パラシュートを分離してラペリングで降りていきます。

 ディセンダはカラビナを通じて、両脚付け根のD環と連結します。

 トラウザーズの右脛には巨大なポケットがあり、ラペリング用のロープをしまうことができます。

 この絵では担架を携行していますが、医療器具や消火用具、サバイバルキットなど、必要に応じてチームで持ち物を分担します。



 ヘルメットは、上記の絵では透明のバイザーですが、R-1には金属メッシュのフェースガードが付いたH-1ヘルメットを使用します。

 H-1の写真が無かったので、類似品の写真を載せます。

 フェースガードは上に跳ね上げることができるので、顔が痒くなっても大丈夫です。




 グローブはB-3Aという上品(ペラッペラ)なシープスキンのグローブを合わせるのですが、簡単に擦り切れそうです……。


 ちなみにR-1Aは色がエアフォースブルーになります。フル装備だと怪しい雰囲気満載ですね。


 

 パラレスキューはWWⅡ中の1943年、増加する航空機搭乗員の損耗を抑止することを目的に陸軍航空隊に誕生しました。しかし、敵地上空で脱出することが多く、ほとんど活躍の機会はありませんでした。

 当初の訓練は、「Smokejumpers」を有する米農務省森林局(US FOREST SERVICE)が担っていました。

 「Smokejumpers」 とは、山火事が発生した際、航空機からパラシュートで森林地帯に降下して初期消火を行う隊員のことです。

 降下要領だけでなく、装備品についてもSmokejumpersを参考にしました。

 

 米陸軍航空隊のパラレスキューは、搭乗員の救護だけでなく、Smokejumpersとしての任務を行っていた時期があります。

 1945年5月、黒人だけで組織された第555パラシュート歩兵大隊(通称、トリプルニッケルズ)がオレゴン州ペンドルトンに駐留してきました。



 オレゴン州には広大な森林地帯があり、元々、山火事が頻発する地域です。

 しかし1942年9月に日本海軍伊25潜水艦の艦載機による爆撃があったことに加え、1944年11月から始まった風船爆弾による被害も生じたことから、「落下した風船爆弾の発見と無力化及び森林火災の拡大抑止」を任務とした第555パラシュート歩兵大隊が創設されたのでした。

 この任務は「Operation fire fly」と呼ばれ、不安を煽らないよう、米国民には秘密裏に行われました。


 米国本土を空爆した零式小型水上偵察機。1942年9月、2回にわたってオレゴンの山林に焼夷弾を投下した。被害はほとんでなかったが、米国に大きな衝撃を与えた。



 和紙とコンニャク糊で作られ、15kgの爆薬(または5kgの焼夷弾×2)を搭載したこの風船爆弾は、ジェット気流に乗って米公本土に1000発近くが飛来したと言われる。1945年5月には米国市民に被害も出た。

 

 トリプルニッケルズは風船爆弾によるものを問わず山林消化活動を行いましたが、大変過酷な任務であり、1945年8月には高木からの落下による死亡事故も発生しました。

 


 トリプルニッケルズが駐屯したペンドルトンの町の人々は、300人もの黒人達がやってきた目的を知る由もなく、徹底した人種差別で対応しました。

 レストランやホテルの入り口には「犬とインディアンは立ち入り禁止」の表記がなされ、当然黒人にも適用したのでした。不憫な話です。

 

 オレゴンにおけるトリプルニッケルズの活動は、1945年10月まで続きました。


 C-47輸送機への搭乗を待つトリプルニッケルズの隊員


 話を戻しますと、R-1ジャケット/トラウザーズが標準化されたのは、1945年の11月なので、トリプルニッケルズの活動の後になります。

 しかし、上の写真を見てわかるとおり、R-1ジャケット/トラウザーズに似たものを装備しています。

 US FOREST SERVICEが使用したSmokejumpers用のスーツは黄色っぽい色をしているので、これは、陸軍航空隊が開発したR-1のプロトタイプか、もしかしたらその前身となるものがあったのかもしれません。

 R-1シリーズが確認できる画像や動画は、残念ながら見つかりませんでした。

 

 なお、山火事の初期消火を担うSmokejumpersは今日でも存在します。

 Smokejumpersはパラシュート降下のみならず、消防、医療、(冬山)登山、サバイバルについての知識・技量も有するエリートであり、米国では一目置かれる存在です。

 しかし日本での知名度は皆無で、カタカナで「スモークジャンパー」と検索してもブーツの記事しか出てこないのが悲しいところです。


 下の動画は現代のSmokejumpersを紹介したものですが、装備は昔からあまり変わってないですね。



 今回の話はこれで終わりです。

 長々と書き過ぎて、色々と話が広がってしまいました。

 それでは次回をお楽しみに!