飛行服夜話 第十四夜 「A-2 ラフウェア23380 」 | 飛行服千夜一夜物語

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どんなフライトジャケットにも、袖を通した者と歩んだドラマがあるもの。
飛ばなくなったフライトジャケット達との思い出話と、そこに秘められたヒストリーを紹介します。

 こんばんわ。

 トイズマッコイから秋冬コレクションが公開されました。夏はこれからですが、もう、そんな時期なんですね。 

 

 やっぱり皆さんが気になるのはA-2フライトジャケットでしょうか?

 各社が情熱を込めて送り出したA-2というものは、手に触れてみると、何歳になっても熱く込み上げるものがあります。

 A-2って、高いし、全然暖かくないし、着心地もよくないし、すぐ傷がつくし、ライニングは破れるし、ポケットのステッチは切れるし……良いところなんて「見た目がカッコいい」ところ以外何もないですよね。

 でも「カッコいい」の配点が100点満点中90点位ある上に、着込んでいくと100点を超えて点数が上がっていくので、ハマってしまう人の気持ちはよくわかります。


 今回のテーマは「A-2 ROUGHWEAR CLOTHING CO. 23380」です。

 各社から定期的にリプロ品が出ている、二重ラベルで有名なやつですね。


 契約日は1941年12月26日、生産数は12,000着、単価は$7.7、契約番号は「W535AC-23380」です。 

 「W」はアメリカ合衆国陸軍省(United States Department of War)、「535」はライトフィールドにあったMaterial Divisionを意味します。

 Material Divisionは1942年3月にワシントンD.C.に移りますが、1943年4月にはライトフィールドに戻り、組織名もMaterial Commandに変更となります。そのタイミングでIDも変更になり、陸軍省の「W」は「W33」に、Material Commandの「535」は「038」になります。

 


 それでは、私のコレクションを参考に細部を見ていきましょう。

  

 まずは全体から。


 ゆったりしたシルエットです。

 革は丁寧になめされたシボ多めのカウハイド。エアロレザーのカウハイドより硬めで、厚みがあるように感じます。

 リブは濃いめのブラウンです。袖リブは交換したものかもしれません。

 ラフウェアのA-2は襟も含めて左右非対称になってるらしいですが、あまり気にしたことはありません。


 

 このA-2の特徴の一つであるラベルです。

「PROPERTY AIR FORCE U.S. ARMY」と刺繍されたラベルが元のラベルに追加するように縫われているので、ツインラベルと呼ばれたりします。


 この「PROPERTY AIR FORCE U.S. ARMY」の文字は、1941年10月14日に契約されたエアロレザー21996以前には無く、その次の1941年12月22日契約のフリードオスターマン23383以降には存在します。

 おそらくWW2参戦を境に、軍からこの文字をラベルに記入するような通達が出されたものの、ラフウェア社は既に古いタイプのラベルを作ってしまっていたため、ツインラベルにしたものと思います。


 このラフウェア23380と同日付で契約した「モナーク23378」と「JAドゥボゥ23379」があるんですが、ドゥボゥはラフウェアと同じようにツインラベルになっています。

 モナーク23378は、参戦後に契約したA-2の中で、なぜか唯一「PROPERTY AIR FORCE U.S. ARMY」の文字がラベルにありません。モナークは海軍御用達のメーカーであり、陸軍のフライトジャケットを作っていること自体珍しいのですが、これ以降、陸軍のフライトジャケットは契約していません。

 


 台襟と襟のスナップボタンです。

 台襟があると、首元が立体化します。ビンテージA-2の場合、台襟が無いと、襟が潰れてぺったんこになってしまい、大変見栄えが悪いので、私はあった方が好きです。スナップボタンはボールスタッドです。



 次は肩章です。

 ここもメーカーの特徴がよく出ますね。

 細く華奢なエアロレザーのものと比べると、幅もあり、縫いつけもしっかりしています。



 左ポケットのフラップをめくった部分です。

 ポケット上端の補強ステッチは三角です。

 ボールスタッドのスナップボタンは、よく見ると襟とは異なったものが使われています。全てのA-2で1940年頃から、襟とポケットに微妙に異なるスナップボタンを使うようになりました。

 白いサイズタグが付いてます。「No.626」について、イーストマン氏はロット番号ではないかと推測してます。


 

 ジッパーです。

 クラウンのシェブロンM41です。左側の差し込み部分が破損してますが、それでも開け閉めが可能です。

 見た目も美しく、錆とも無縁で、大変滑らかに作動できる傑作ジッパーです。

 ビンテージA-2で使用されているジッパーは大抵がタロンですが、このシェブロンジッパーが付いていると、とてもテンションが上がります。ビンテージA-2の価格にジッパーの種類はほとんど反映されないようで、得した気分になります。

 いつかは修理したいのですが、このジッパーのデッドストックはとても高価なので躊躇しています。



 思い出話をしますが、1995年の雑誌「A-2」において、リアルマッコイズのツインラベルA-2が掲載されていまして、ずっとそのカッコよさに憧れていました。


 それと、忘れてはならないのが、この第56戦闘航空群仕様のレッドシルクA-2!!

 「人呼んで紅(くれない)の狼、やつらこそ切り札さ」


 当時、金も無いくせにどっちのA-2を買おうか真剣に悩んでました(バカ)。

 P-47戦闘機のプラモを買うと、大抵、第56戦闘航空群のデカールが入っているため、それなりに名の知れている部隊ではありますが、「ゼムケの群狼」、「ウルフパック」と呼ばれていたことや、隊員がレッドシルクのA-2を着ていたことなんて、この雑誌で初めて知りました。

 どこまで本当の話かはわかりませんが、実物とリプロの細かい違いを指摘して悦に浸るのはとても不粋なことだと思うので、ここは作り手の想いと自分の想像力で楽しんでいきたいですね。


 A-2とは関係ない蘊蓄話ですが、P-47戦闘機はドイツのFw-190A戦闘機とよく間違われていたため、識別用に派手なマーキングをしています。

 第56戦闘航空群所属機はカウリングの先端が赤。

 隷下の飛行隊は尾翼の色で識別され、第61飛行隊が赤でHVのコード、第62飛行隊が黄色でLM、第63飛行隊が水色でUNになります。

 ↓有名なガブレスキー中佐は第61飛行隊ですね。


 この1994〜1996年頃は「リアルマッコイズ黄金期」と一部では言われています。

 正直なところ革質や縫製は現代の物の方が全然優れています。しかし、この黄金期のものは、思い出補正もあるのかもしれませんが、マッコイスタッフの熱い思いを感じるような豪快な作りだったように思います。

 旧マッコイには、本当に良い時代を過ごさせてもらいました。

 

 このラフウェア23380は、昔からいろんなメーカーが製品化しており、どれも素晴らしいものなので、今回はリプロ品の紹介はしません。

 あえて順位をつけるとすれば、先ほどのマッコイのA-2が一位ですね。いつかは手に入れたいと思っています。


 今回はこれでお終いです。

 いかがでしたか?

 それでは、次回をお楽しみに!