フライトジャケットとの出会い④ ー風雲編ー | 飛行服千夜一夜物語

飛行服千夜一夜物語

どんなフライトジャケットにも、袖を通した者と歩んだドラマがあるもの。
飛ばなくなったフライトジャケット達との思い出話と、そこに秘められたヒストリーを紹介します。

(「大山鳴動編」の続き)

さて、アルファ社製のフライトジャケットを買う事にした訳であるが、当時のラインナップは次のとおりである(ライトゾーン用は仙台の冬に耐えられそうもなかったので候補から除いた)。

なお、写真はネットからの転載である。

① 「レギュラーのMA-1」

一年前に買って失敗したのと同じもの。良くも悪くも普通。

 

② 「ナイロン製のCWU-45/P」

実物は難燃性のアラミド繊維でできている。つまりこれはパチモノだ。


③ 「MA-1ビンテージ」

MA-1の初期型を安っぽく再現したもの。レギュラーより高価。


④ 「B-15Cビンテージ」

作りの安っぽさがドカジャンの雰囲気を加速。③よりも高価。


⑤ 「B-15Dビンテージ」

④の色違い。なぜかあまり安っぽく見えないが、よく見ると、やはり安っぽい。


⑥ 「N-2B」

ヘビーゾーン用の割には中綿がぺらっぺら。

 

後ろ姿。ジッパーで分割し、肩に乗せられるフードが不良っぽさを加速。

 

⑦ 「N-3B」

かわいい系男子がよく着ていた。ペラッペラだがヘビーゾーン用だ。この中で最も高価。

[☆評価結果☆]
①は今更なので却下。
③と⑤はフェローズ製のB-15Dを見た後では、とても買う気がわかないので却下。
④はドカジャンみたいなので却下。
⑥と⑦は学校に着ている人がたくさんいるので…というか高いので却下。

ということで、消去法により、②の「ナイロン製の45P」に決定した。
ナイロン製というところに偽物感が漂うが、本物は後で買うことにしたので、まあ良しとしよう。

二万円を財布に入れ、向かった場所はアメリカ屋。
フライトジャケットコーナーに行くと、アルファの製品は一通り揃っていたが、なんか、実物のような高級感あふれるフライトジャケットが売られていた。
…フェローズではない。バズリクソンズ? 聞いたことのないメーカーだ。実にしっかりとした生地である。
しかし、肩のエアフォースマークがかすれた感じでプリントされており、フェローズと比べると、縫製も全体的に雑な印象だった。
値札を見ると…高い! 32,000円くらいする!

これは、無しだな・・・と、そっとハンガーに戻し、本命のナイロン45Pに目をやった。

グリーンのものと、ちょっと黄緑っぽいシルバーの二色が売られていた。

黄緑シルバーの45P。この微妙な色は何て呼べばいいのだろうか?


グリーン45Pを買おうと手に取ったとき、ある考えが頭をよぎった・・・。

 

(将来、実物の45Pを手に入れたら、このナイロン45Pは着なくなってしまうのではないか? 安い買い物ではないのだ。飛行服発達史には退色して銀色っぽくなってしまったジャケットもたくさん載っていた。黄緑シルバーもアリなんじゃないか?)

飛行服発達史の写真を見ると、確かに緑がかったシルバーに見える。

(実際は光の当たり方でそう映っただけなのだが・・・)

 

そう思った私は、1分ほど悩んだ挙句、その変な色の45Pを購入し、そして、店を出て1分後には後悔するのであった。

「やっぱりこの色、なんか変だ。返品しようかな? いいや、せっかくだから、思う存分楽しもう!」と、なぜか前向きに考えることにした私は、パッチでコテコテにデコレートされた45Pを目指すことにした・・・。

 

翌日、仙台市内を探し回って、ようやく、仙台アメ横のビルの中に、ミリタリーパッチを売っている店を発見した。

買ったのは、「USS ENTERPRISE」とプリントされたベルクロのネームプレートと、以下3枚のパッチである。

いずれも素晴らしいデザインだ。しかし最後のパッチっていつ、どこに着けるんだ? 

 

最も重要な、所属を示す飛行隊パッチが売っていなかったのは残念であったが、これで妥協することにしよう。

 

帰宅して、45Pの上に買ってきたパッチを置いてみた。

・・・こ、これは・・・めちゃくちゃカッコいいぞ!!

 

さて、問題は、どうやってこれらのパッチをジャケットに取り着けるかである。

家のミシンは故障していたので、手縫いでやろうとしたが、パッチが固くて、まったく針が通らない。

ペンチで強引にねじ込めば何とか通るのだが、そのうちにパッチ縁の刺繍がぽろぽろとほつれてきた。

何とかならないものかと、両面テープを試したが、全く付かなかった・・・。

 

「どうすんだ、これ・・・」と、家の中を物色したところ、「コニシ ボンド Gクリアー」が目についた。

布に使えそうだが・・・さすがにボンドはまずいのではなかろうか。

しかし他の手段は私には思い浮かばなかった。

 

「…ええいっ、ままよっ!」

ボンドを少しだけ塗って貼り付けてみる・・・。

・・・付かない。

ボンドが足りなかったのであろう。べっちょりと全面に塗ってから、再度貼ってみた。

くっつくにはくっつくのだが、ペロッと簡単に手ではがせるほどの接着力しか期待できなかった。

「三枚のお札」ならぬ「三枚のパッチ」を大量のボンドで接着した私は、この日2度目の後悔を味わった。

「やっちまった・・・。ボンドだらけじゃないか。このジャケット・・・つい2時間前まで新品だったんだよ?」と泣きそうになった。

でも、しっかり乾燥させれば何とかなるかもしれない。

次の日、学校に着ていくことにした。

 

一緒に帰宅している友人は「パイロットみたいなジャンパーだね」と言ってくれたが、自転車をこいでいるうちに徐々にパッチがはがれてきた。

このままではパッチをどこかに落とすと思い、手でバリっとはがしてしまった。

優しさなのか哀れみなのか・・・友人はボンドの跡が残った45Pを見ても何も語らなかった。

そのボンドまみれの45Pも数週間で早々に退役し、無念であったが、タンスの肥やしになったのであった。

 

・・・やがて厳しい寒さも終わろうとするころ、アメリカ屋でアルファの「L-2Bビンテージ」を買った。

安っぽさを差し引いても、とても良いフライトジャケットだった。

 

これはとても良いフライトジャケットで、すぐにお気に入りになった。

薄いがそこそこ暖かく、着ぶくれすることもなく、どんな服にも合い、そしてなによりカッコよかった。

将来だとかカスタムだとか、余計な事なぞ考えず、普通に着ればよかったのだ。

 

そして、1994年の4月、私は高校3年になった。

季節が穏やかになるとともに、やがてL-2Bも必要なくなったのであった。

その年の夏の暑さも和らいだころ・・・9月だったか10月か忘れたが、本屋でとある一冊の本に出合った。

 

・・・「コンバットマガジン 11月号別冊 B-3」

 

コンバットマガジン別冊フライトジャケット3部作の2番目の書である。

1番目の「MA-1」は「フライトジャケットへの愛」について語られていた。

「B-3」が語るものは「フライトジャケットのあるべき姿、理想像」である。

「B-3」の語る理想像に合致しないものは、「フライトジャケットと呼ぶに値しないまがい物」と言わんばかりの攻撃的な筆致・・・愛というよりも檄文である。

宗教書のような・・・、もしくは世の全てのまがい物に対する宣戦布告の書のようにも感じた。

 

・・・この年、数多のフライトジャケット・ブランドが鎬を削る「フライトジャケット戦国時代」に突入した。

フライトジャケットの沼に片足を入れてしまった者の多くが乱世の大きなうねりに飲み込まれ、その後の運命を決定することとなった(たぶん、私だけではないはず)。

 

 

乱世は英雄を生む。

 

檄文の主、最強集団「ザ・リアル・マッコイズ」が本格的な攻勢を開始したのであった・・・。

 

(つづく)