フライトジャケット夜話 第十二夜 「現代的フライトジャケットの祖 B-15」 | 飛行服千夜一夜物語

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どんなフライトジャケットにも、袖を通した者と歩んだドラマがあるもの。
飛ばなくなったフライトジャケット達との思い出話と、そこに秘められたヒストリーを紹介します。

 こんばんは。

 今月のPV数が300を突破しました!!

 大変励みになります。

 詳しい方もそうでない方にも、何か感じるものや得るものがあるようなブログにしたいなと思います。

 

 さあ、今回のテーマは、現代的フライトジャケットの祖と言われる「B-15」です!

 B-15は、ムートンの枯渇対策として急造したコットン製B-10ジャケットの後継として、米陸軍航空隊が満を持して開発したものです。

  B-15はINTERMEDIATE ZONE用フライトジャケットであり、A-11トラウザーズと組み合わせることにより、−10℃から+10℃での使用を想定しています。

 F-3電熱スーツと組み合わせることで、更なる低温域での使用も可能です。


 1944年の7月から11月までのほんの5ヶ月間しか製造されていませんが、契約本数は約20におよび、膨大な数が製造されています。

 例として、エクセルガーメントというメーカーは3万着のB-15ジャケットを受注し、納期は5ヶ月、単価は$7.25でした。今の価値にすると15,168円(企業物価指数比、3.5円/$で換算)です。

 A-2(エアロレザー16160)が52,000円くらいだったので、1/3以下の単価ですね。

 


 では私のコレクションを参考に、B-10ジャケットからの変更点を見ていきます。

 

↑筆者のコレクション、B-15 EXELL GARMENT 6344


*首に風が入らないよう。ジッパーは右にオフセット
 B-15〜B-15Bにしか見られない特徴です。
*肩章を廃止
 陸軍の軍服は肩章が付くことが一般的です。廃止の理由はわかりません。

*ポケットをパッチ型からスラッシュ型に変更

 軍人としての品位に欠けるかもしれませんが、ハンドポケットができるようになりました。救命胴衣(ライフプリザーバー)やトルソーハーネスとの相性も良いです。

↑スラッシュポケットの内側は、幅広なコーデュロイ


*内ポケットが左右に付く

 B-10は左側にしかありませんでした。

*ジッパー奥のウインドフラップを首元まで延長

 B-10は半分くらいの長さしかありません。

*ライニングの脇、肘、裾部分にレーヨン生地を使用 

 摩擦に弱い植毛アルパカへの対策です。



*チンストラップにムートンを貼り付け


*ペンポケットを左袖に移動

 B-10のペンポケットは左パッチポケットにありました。短くなった鉛筆でも使えるようにデザインされています。

 B-15Aからは2列になります。

 


*肩の背部を立体的に縫うことでフィット性向上

 MA-1にもありますね。



*袖を立体的な形状に変更

 下の写真は、上がB-15、下がB-10です。B-10の袖は細く直線的で、脇にマチがあるため長く見えます。

 B-15は太く湾曲しているので、重ね着も容易で動きやすくなりました。


 

 それと、1944年8月以降の生産分では、表地にコットンとレーヨンの混紡生地の使用が認められています。上の写真でも、生地のツヤが違うのがわかります。


 B-15になって、現代的なデザインに進化しました。

 B-10の発展型というよりも、ゼロベースで生み出されたフライトジャケットですね。


 

 このB-15ジャケットの部隊への供給開始は1945年1月前後と思われます。

 1945年になっても、皆んなが着ているのはA-2やB-10ばかり。まもなく暖かくなり、戦争も終わって大量の搭乗員が軍を離れ、朝鮮戦争が始まった頃はB-15Aだらけになるので、着用している写真を探すのに苦労します。

 B-15を供与はされたものの、着用する前に除隊する人が多かったのでしょう。

 戦争で消耗したB-10やB-15Aと異なり、現存するB-15は大変程度の良いものが多い印象を受けます。


 当時の写真を探すと、日本本土空爆時や朝鮮戦争時におけるB-29爆撃機の搭乗員に着用が認められます。

 写真でB-15を探す時は、「スラッシュポケット」、「1列のペンポケット」、「胸に三角形や長方形のタブが無い」、「ジッパーが右にオフセット」といった点で識別できます。


↑1945年、あるB-29搭乗員の集合写真。クルー11人の全員がB-15ジャケットを着用している。1945年7月27日、このクルーを含む124機のB-29は福岡県大牟田市を空襲。このクルーのB-29は撃墜された。



↑1945年1月前後、第8空軍隷下、55th FGの群司令、エルウィン・ライエッティ中佐。使用機はP-51Dで数少ない戦闘機操縦者の着用例。

 見てのとおり、B-15ジャケットは、救命胴衣を着用してもポケットが使用できるようになった。



↑1951年、朝鮮戦争に参加中のB-29クルー。後列左から二人目がB-15ジャケットを着用。この頃には着用者はぐっと減る。他にはB-15Aジャケット(胸に三角形のタブがある)とB-11ジャケット(一番左上、一番右下のコート)が見えます。

 


 そして、B-15ジャケットには、外すことのできない二つのモデルがあるので紹介します。


 一つ目は、B-15ジャケットのテストサンプルと言われているもの。

 タグの表示は「AERO MEDICAL LABORATORY 」なので、少なくとも1947年4月12日以降のものであり、B-15Aの生産も終わってる時期なので、厳密にはB-15のテストサンプルではありません。

 ジッパーはベル型コンマーなので、1940年代後期のものと思います。

 なぜか表地が海軍のデッキジャケットに使われてるジャングルクロスで、色が青いのも気になります。

 B-15Bの仕様が定まらなかった時期のサンプル品かもしれません。



 


 二つ目は、民間仕様のB-15です。

 古着屋やヤフオクでは、様々なタイプのものをよく見かけます。

 フライトジャケットのようなタグが付いていますが、製造メーカーの名前が入っていません。

 たいていは安っぽい作りですが、中には良い生地を使った立派なものがあったりします。

 判別できるポイントを紹介します。

↑例①

 ・ジッパーが中心にある。

 ・ライニングがアルパカの植毛ではない。


↑例②

 ・ポケットにドットボタンが無い。

 ・左袖のペンポケットが2列。

 ・左肩にUSAFのシンボルマークが無い。


 これらの民間B-15は、1940年代の終わり頃から1950年代に作られています。

 朝鮮戦争に従軍したパイロットが使用する場合もあり、その際は、左肩に黒や白のインクでUSAFのシンボルマークがスタンプされました。

 「B-15だと思って買ったら民間B-15だった」の場合は結構ショックですが、何とも言えない味があるのも確かで、コレクションの対象としても面白いです。

 例②の個体は作りも丁寧なので、実物を作っていたメーカーによるものかもしれません。



 最後にリプロ品を見ていきましょう。

 あまり人気がないのか、コンスタントに販売しているメーカーは無いようです。

 B-15が好きになってしまった奇特な人は、気に入ったモノを見つけ次第、買っちゃいましょう。


↑まずは、B-15と言えばやっぱりバズリクソンズ!

 1992年、バズのデビュー作はB-15とB-9でした。

 実物と見紛う出来の良さなので、買って後悔はありません。

↑バズは民間B-15も出している。

 実物よりも凝った作りで、表地はジャングルクロス。

 


↑旧マッコイのB-15(H.L.B. CORP.)

 まるでビンテージのような、クタッとしたもっさり感も再現。地味だが素晴らしい出来。


↑フェローズのB-15。現代的なパターンで作るのが上手く、着てみるとかっこいい。安いのでオススメ。


↑クッシュマンの民間B-15。民間モデル特有のなんとも言えない微妙な雰囲気をしっかり再現させている。

デザイナーのセンスとこだわりを感じる。


↑トイズマッコイのB-15。

 実物に近いが地味な印象を受ける。個人的にトイズはパッチやペイントでコテコテしたフライトジャケットが好き。

↑トイズマッコイはテストサンプルB-15も出していた。青いとだいぶ雰囲気が変わる。

 

 

 今回はB-15という、あまり人気の無いフライトジャケットをテーマにしましたが、調べてみると色んな発見があって、なかなか奥が深いと感じました。

 

 次回もお楽しみに!