フライトジャケット夜話 第四夜 「エリートのためのフライトジャケット(?) L-2A」 | 飛行服千夜一夜物語

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どんなフライトジャケットにも、袖を通した者と歩んだドラマがあるもの。
飛ばなくなったフライトジャケット達との思い出話と、そこに秘められたヒストリーを紹介します。

こんばんは。
真夜中の定期便、フライトジャケット余話の時間です。

最近、記事を更新してるからか、ブログランキングにおいて、40万位くらいだったのが、31万位くらいまで上がりました。

当ブログにお越しいただいた数人の読者の方に深くお礼申し上げます。 

しかし、「万位」って、あまり見慣れない表現ですね。

私は生まれて初めてつかいました。万位。

 

さて、今夜の飛行服千夜一夜物語りのテーマは、これ。

L-2Aフライトジャケット!

L-2A MIL-J-5391A AF19500 L.W.FOSTER SPORTSWEAR


L-2Aの存在を初めて知ったのは、高校生の時に、モノマガジンに掲載されていたフェローズの広告からでした。

 

 モノマガジン 1994年No.247号のフェローズの広告より。右ページのA-2の左下がL-2A。当時は左ページのB-15Dが欲しかった! 


この広告の主役はB-15DとそのMODであり、L-2Aは小さな扱いだったのですが、気になるフレーズが書かれていました。

「空軍のエリート、テストパイロットのためのフライトジャケット」!?

厳しい適正検査と訓練を乗り越えてパイロットになった人々はすべからくエリートと言えるため、つまりは「エリート中のエリートのみが着用できるフライトジャケット=L-2A」ということか……。

当時の写真を見ると、F-86戦闘機のパイロットがよく着用しています。

しかし敵地上空に乗り込んでジェット戦闘機でガンを撃ち合うって、よく考えると凄い構図ですね。

実際は軍公認のエリートにしか支給されなかったわけではないでしょうが、結果的には納得のいくフレーズかと思いました。

 

当時、アルファ社から「L-2A ビンテージ」が販売されていましたが、同社製「L-2B ビンテージ」の単なる色違いですね。

私も、情報量の少なかった当時、L-2、L-2A、L-2Bの違いは、L-2の革製ボックスタブを除いては、単に色が違うだけと認識していました。

当時、L-2Aのビンテージは15万円くらいで売られており、とても手の届くものではなく、現物確認は困難でした。


L-2Aの契約は1951年度から1952年度かけての3回のみ(フォスター、プリツカー、スペリオルトグズ)であり、この3種のL-2Aはどれも大変個性的で魅力があります。

私は、2000年代半ばの古着氷河期にビンテージの蒐集を積極的に行っており、L-2Aも3種類全てを集めようと思っていました。

でも、古着屋でもヤフオクでも、ビンテージのL-2Aって、滅多に出てこないんです。

決して製造数の少ないフライトジャケットではないんですけどね。

それと朝鮮戦争当時のフライトジャケットって、どこかのパーツが欠けていることが多いです。

シガレットポケットとか、酸素マスクのボックスタブとか、ラベルとかですね。

完品状態を狙うんですが、見つけても使い込んで程度の良くない個体がほとんどでした。

程度の良いものは、古着冬の時代にもかかわらず、10万円以上と大変高価であり、予算に見合ったものがなかなか見つからず、フォスター製しか入手できませんでした(本当はリブが変色するスペリオルトグズ製が欲しかったのです)。

価格は5万円くらいでした。

 届いたフォスターのL-2Aを手にとって驚いたことは、その品質の低さでした。

私の知る限りTOP3に入るほどの、あまりにも雑な縫製(官の完成検査をどうやってクリアしたの?というレベル)であったため、ビンテージ原理主義者には悪いのですが、酷い箇所は、一度縫製を解いて縫い直しました。

ちなみに縫製も雑ながら生地の質も悪く、しかも複数の生地が使われているようで、部位によって色が違ったりします(これはある意味、個性と言えるかもしれません)。

 

解説をしますと、L-2とL-2Aは色とボックスタブとジッパーを除けば大変似た作りです。

ですが、L-2Bになるとかなりの変更が加えられています。

表地も裏地も異なり、全体的に細身なスタイルだったのが、かなりボリュームアップしたものになりました。

つまり、L-2AとL-2Bは全然色違いじゃないということですね。

バズのレプリカは、当初からこの違いをよく再現していました。

流石ですね!

 

1993年の雑誌「MA-1」のバズの広告から。モデルが着用しているのはビンテージ品。 L-2AとL-2Bのスタイルの違いに注目。サイズは違うが、それを差し引いてもL-2Aはかなり細目だということがわかる。

 

色について、1990年代には「1947年の米空軍独立に合わせて、そのイメージカラーとしてエアフォースブルーを採用した」ようなことがまことしやかに言われていましたが、実際に空軍独立後に契約されたのは、オリーブグリーンのL-2の方でした。

最初のL-2Aの契約、製造は仁川に連合軍が上陸し、中国が参戦した1950年中頃の時期なので、増えた予算を活用して、士気高揚や米空軍のイメージアップを狙って採用したんじゃないかと思います。

地上では迷彩効果の無いジャケットですので、搭乗員からは不評だったんでしょうね。1952年度のスペリオルトグズの契約で製造終了、戦争後半の1953年には、セージグリーンのL-2Bに切り替わります。


それと、私が購入した前掲のL-2Aもそうなのですが、階級章やネームタグをドットボタンで取り付けていたものが見受けられます。

あれは、敵地上空でベイルアウトした際にすぐに外して、パッと見た目で身分がわからないようにするためのものですね。

当時、士官の搭乗員は見つかり次第殺されるとかあったんですかね。


L-2Aのレプリカの話をしますと、1997年くらいに東京タワーでやっていた「V-MAT」とかいうイベントに行った時、そこにバズのアウトレットコーナーがありまして、L-2Aを9800円くらいで購入しました。

現在の目から見てもよくできたレプリカです。

前傾の94年春の製品かなと思ったのですが、不思議と、当時のどのバズの広告を見ても、L-2Aを販売していた形跡が無いんです。

レプリカのテストサンプルみたいなものなんですかね?

知ってる人がいたら教えて貰いたいです。

このレプリカL-2Aですが、当時買っていた黒のチビ猫が肩に乗るのが大好きなヤツでして、爪を引っかけながら駆け上っていくので、傷が沢山ついてしまいました。

それからしばらくして、このレプリカL-2Aは嫁に奪われました。

嫁は我が家のエリートなので、私よりも相応しい気がして、抵抗はしませんでした。

レプリカとはいえ30年近く前の服なんですが、今でもよく着用しています。

凄い長寿命な服ですよね。

ここまで着てくれたら、この服も満足でしょう。


今夜はこれでおしまいです。

それでは次回をお楽しみに!