フライトジャケット夜話 第三夜 「生還せよ! 闇夜に目立つ?MA-1 D型」 | 飛行服千夜一夜物語

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どんなフライトジャケットにも、袖を通した者と歩んだドラマがあるもの。
飛ばなくなったフライトジャケット達との思い出話と、そこに秘められたヒストリーを紹介します。

こんばんは。
いきなりで何ですが、今夜はMA-1 D型について語りましょうか…


MIL-J-8279D DSA-1-4249-64-C アルファ社製


…えっ? そんな物はいいから「A-2」とか語れって?
まあまあ、ここは二日に一人しか見にこないサイバー空間の狭間…。

このブログを見つけたのも何かの縁、たまにはオッサンの昔話を聞いてくださいよ。

このフライトジャケットがなければ、こうして語る機会もなかったのかもしれないのですから…。

あれは、1995年の秋くらいのこと。

当時、愛知県で働いていた私は、休日のたびに名古屋市内への出撃を繰り返し、古着屋を物色するような日々を送っていました。

当時の大須や久屋大通には、路地裏も含めて、至る所にビンテージ系の古着屋があったんですね。

名古屋の古着屋は、生まれ育った仙台や原宿と比べるとかなり安価に設定されており、特にミリタリー系は掘り出し物も多く、宝探し的な楽しみがありました。


今はもうありませんが、プリンセス大通りの栄と大須の境目位に、「キックアウトビンテージ」という古着屋があり、そこが私の一番のお気に入りの店でした。

そこでこのジャケット…アルファ社製のMA-1「MIL-J-8279D 」と出会ったのです。

価格は¥22,000くらいでした。

当時は古着ブームの全盛期。

グレー裏地のMA-1やL-2Bであれば、10万円以上のプライスがついた時代です。

それにもかかわらず、オレンジの裏地とはいえこの値段ということは…、まあ、人気の無いフライトジャケットだったということです。

それなりに使い込まれてはいましたが、価格の割にはリブの破れや目立つ汚れもなく、なんといってもバイブルであった「飛行服発達史」にも掲載されていた実物ということもあり、迷う事なく購入しました。

そして着ていたマッコイMA-1に代わり、このMA-1Dが私の主力フライトジャケットになったのでした。

これと言った特徴の無い、地味なフライトジャケットでしたが、メインジッパーに使われていた「クラウンCC」にはとても感銘をうけました。

それは、マッコイの復刻コンマーとは比べ物にならないくらい確実かつ滑らかに作動するジッパーであり、

IDEALやコンマーはおろか、国産のYKKと比較しても圧倒的に優れたものでした。

さすがは実物フライトジャケットと唸ったものでした。

 

さて、明けて1996年の1月ころだったでしょうか、東北の某地方都市(都市と言えるほど大きい街ではない)に飛ばされた私は、2個上の先輩の車に同い年の同僚と同乗し、峠向こうのそこそこ大きい街に遊びに連れて行ってもらいました。

移動は片道3時間ほどかかりました。


ボーリングやビリヤードを満喫し、0時を過ぎた頃にそろそろ帰ろうということになりました。

先輩が運転、助手席に同僚が乗り、私は後席の中央に座ります。

都会と異なり、東北の都市と都市の間にはあまり人も住んでおらず、車もほとんど走っていないため、街灯以外は「闇の世界」でした。

流行りのポップスを聴きながら、最初のうちは会話も弾んでいたのですが、やがて遊び疲れたこともあり、眠くなってきたのです。

会話も無くなりました。

やがて峠にさしかかり、雪が降ってきたかと思うと、気付けば、路面が圧雪状態になっていました。

先輩は雪道の運転は慣れているということで、かなりのスピードを出していました。

不安もありましたが、睡魔には勝てず、後席中央の不安定な場所から、運転席の真後ろに移動し、先輩に気づかれないように、少しだけ寝ることにしました。

意識を失ってから10分も経っていなかったと思います。

突然、前席の背面に顔を叩きつけられ、何が何やらわからないうちに、車は停止しました。

車から出て状況を確認すると、どうやらカーブで滑った車が反対車線のガードレール(その向こう側は崖と川!)に当たったようで、車の前方部分が大破しています。

私は鼻血を出した程度の傷で、幸い、前の二人も特に怪我は無いようです。

私はシートベルトをしていなかったので、もし後席中央に座ったままだったら、衝突の衝撃で車の外に投げ出されていたと思います。

車はカーブで見通しの悪い対向車線側に停止しており、とても危険な状態でしたが、運転していた先輩は、茫然自失の状態で車の中に残っています。

そして心を落ち着かせるためか、タバコを取り出しました。

それとほぼ同時に、同僚が、車からガソリンが漏れ出していることに気がつき、大声を上げました。

私は同僚と共に先輩を車から引きずり出しましたが、先輩は相当ショックだっのか、足は震え、半笑いで遠くを見つめています…。


…外は雪、圧雪路、真っ暗闇、見通しの悪いカーブの対向車線に停止したガソリンの漏れた車…


私は同僚と相談し、同僚は数百メートル先にあった(ような気がする)民家へ助けを求めに行くこととし、私は二次災害を防ぐため、対向車に注意喚起をする役割を担うこととなりました。

先輩に非常停止版と発煙筒、または懐中電灯を持ってくるよう頼みましたが、どれも車に積んでいませんでした。(アホー!)

こうなったら体を張って対向車を止めるしかありません。

何か目立つものがあれば…そうだ、私が着ているのは、レスキューオレンジを裏地に使用する「MA-1D」だったのだ!



色褪せたオレンジの裏地


裏返して着用し、対向車のヘッドライトが見えたらすぐに脱いで全力でMA-1を振り回しました。


…事故から2〜3時間たった頃、ようやく警察官が到着し、その任務から解かれることとなりました。

緊張の糸が切れ、どっと疲れが湧いてきました。

気温は氷点下だったが、寒さはあまり感じなかった。

その後、たまたま現場を通った別の先輩の車で、幸運にも我々三人は帰宅することができたのだった。


損失と言えば先輩の車が全損になったことだけ(ガードレールは凹みはあったが、請求は無かった)でした。

その時着ていたMA-1の裏地のオレンジ色はかなり色褪せており、視認性を高める効果はなかったかもしれない。

でも、やはり、この土壇場を共に生き抜いた相棒を讃えたい。

「さすがはMA-1だ…。ありがとう!」

はい。昔話は終わり。

無駄に長い駄文を読んでくれた方に感謝します。

実はこのフライトジャケットは、既に手元にはありません。

10年ほど前に、ヤフオクで売却してしまったのでした…。無常。

でも私の買ったMA-1Dって、地味なんですが、とても良いものでした。

使い勝手がよく、軽くて暖かい。

汚れてもその辺のクリーニング屋でドライクリーニングすればいいだけです。

欠点と言えるものがありませんね。


MA-1のD型は1964年から1969年頃に作られました。

私のは東京オリンピックの年の契約ですか。
ビンテージと呼べるほどのものではありませんが、それなりに古い物です。
ちなみに1961年から1964年にかけて製造されたC型は、このD型との区別がつきません。
違いのわかる方がいれば、ぜひ教えてもらいたいです。

1964年頃からアルファ社が契約を取るようになってきますが、それ以降のMA-1とL-2Bの契約は、このアルファ社の独壇場のようになります。
私は今まで何着ものフライトジャケットをレストアしてきましたが、アルファ社の品質は他社と比べて群を抜いていますね。
ローレンとかリードプロダクツとかスカイラインとか、かなりいい加減な作りですからね。
契約を独占するのも当たり前です。


MA-1Dのレプリカはマッコイやバズからも出ていましたが、アルファからもそこそこ出来の良いのが'68モデルとして出ていました。

愛知県にいた当時、仕事用にもMA-1Dが欲しくなり、このアルファから出ていたレプリカを買うことにしました。

色は所有する実物と被らないよう、ブルーにしました。

大須の今井商店に買いに行ったのですが、サイズがスモールしかありません。

試着すると、何とか着れるのですが、腕周りがとても窮屈です。

入荷を待つとか他の店をあたれば良いものを、我慢出来ずに、買ってしまいました。

バカ過ぎますね。

結局ほとんど着ることなく、弟にあげてしまいました。


94.年の「飛行服総目録」に掲載された広告記事。2万9千円也。


最近の古着ブームにより、この不人気なフライトジャケットでも若干の値上がりはしているのかもしれませんが、生産数も多く、それなりに現存しているので、大枚叩いて買うような価値のあるものではありません。

2〜3万円程度が、このフライトジャケットの価値なので、欲しい人は値下がりするまで待ちましょう。

しかし、何度も言うように、MA-1Dは大変優れたフライトジャケットです。

初めてのビンテージに最適です。

私が自信を持って推奨します!

 

 これで今夜の話はおしまい。

さて、次回は何の話をしましょうか。

お楽しみに…