「おい!聞いてんのか!!」

耳元で大声を出されて、フェンはようやくこっちの世界に帰ってきた。

「あ、あぁサーガか。いつからそこにいたんだ?」

「相変わらず、ハナカバのようにボーっとしたやつだ・・・ ちょっと頼みたいことがあるんだけどよ?」

そういってフェンの向かいにさっさと座り込んだサーガはブランにも座るように促した。

座るのももどかしいらしく、ブランは立ったまま話をはじめた。

「はじめまして、フェン・・・といったかな?

 私は、竜皇国ヴァルド・ライツの皇王護衛兵長、ヒルデブラン・エツィールだ。

 ブランと呼んでくれ。よろしく。」

そう言って差し出された手にフェンが戸惑っていると、

「“あくしゅ”っていう竜皇国の風習だよ。握りかえしゃあいいのさ。」

サーガがまるで以前から知っていたかのような口ぶりで説明した。

「あ、よろしくお願いします。ブランさん。僕は“フェン・ルイム”です。」

「あんまり強く握っちゃダメなんだぜ、軽くな。」

握り返したフェンの手は確かに少年のものであったが、ブランはなにか違和感を感じずにはいられなかった。

少年のものではない・・・というより人間のものではないような感覚・・・

若い頃から軍隊で鍛え、多くの部下を育ててきたブランだからこそわかる感覚であった。

「あの・・・?それで護衛兵長さんが僕に話というのは?」

その一言でブランはふと我に帰った。

先ほど、サーガが引いてくれたイスにようやく腰を落ち着け、話しはじめた。

「そうだ。それなんだが、竜皇国が戦獅子(いくさじし)エイシアに攻め込まれている。」

「まじかよ!」

「“竜の頭脳”に“戦竜国”が!?同盟国だったんじゃないですか?」

大きな声を出したサーガとフェンに酒場中の視線が集まる。

「ばか、あまり大きな声出すなよフェン。すんません、こいつ女にフラれたんで、やけになってるんですよ!」

そうサーガが説明すると、酒飲みたちはまた元のように自分たちの会話に戻った。

「なんだよ、それ・・・。だいたい僕はまだフラれては・・・」

不満そうな顔をするフェンを差し置いて、ブランは話を続けた。

「砂漠に阻まれたイェンロンまでは情報が届いていないかもしれないが、ここ数年のエイシアは近隣国を次々と制圧している。

表向きは“魔法連合”の反乱が予想されるためとなっているが、実際は武力侵攻にすぎん。

事の起こりは2週間ほど前にエイシアが進行してきたことから始まった。

50万人以上の兵が竜皇国に攻め入ってきたが、我が軍の科学力を持って幾度かは撃退したのだ。

しかし、それから1週間ほどしたら再びエイシアが攻めてきた・・・

今度は、妙な軍師も一緒だったのだが・・・」

サーガに連れられてブランがやってきたのは大衆酒場であった。

『ドフルク』というこの店の名前は、イェンロン語で「酒」を意味している。

「私には酒を飲んでいる暇などはない!」

「怒鳴るなって、本当にせっかちなじいさんだ・・・ 言ったろ?信頼できるやつを紹介するって。この時間はいつもここにいるんだよ。」

急かすブランをなだめながらサーガは店の中に入った。

「いらっしゃいませぇ! 」

活発な、耳に心地よい少女の声が響いた。

「あれ・・・?なんだぁ、サーガか。」

少女は、営業用の声をサーガに使ってしまったのが、もったいないといわんばかりに声の調子を落とした。

「なんだはないだろ、ご挨拶だなぁ。俺の心は飛んで火に入った夏の虫くらいに傷ついたぜ。」

全然傷ついてなさそうな顔でサーガがのたまった。

「だっていっつもツケなんだもん。たまにはお勘定を払ったらどう?」

「う・・・、その節はお世話になっております・・・・」

「別にいいけど~。どうせミルクしか飲まないんだし・・・・はーい、ただいまー」

バツの悪そうなサーガを尻目に少女は忙しそうに走っていった。

「今の少女が私を帝に会わせてくれるのか?」

先ほどから2人のやり取りを苦い顔で見ていたブランが訊ねた。

「おぉ、忘れてたぜ。こっち、こっち。」

さらに苦い顔になったブランを無視してサーガは店の奥へと進みだした。

狭い店内は昼間だというのにそこそこの客が入っていた。

そこかしこから聞こえる馬鹿笑いの中、一番奥のテーブルにぽつんと座っている青年がいた。

年はサーガと同じくらいか。漆黒の髪を持つイェンロンの人々の中で、その銀色がかった髪は目立っていた。

およそこの場に似つかわしくない少年の前には、ミルクの入ったガラス製のコップが置かれているが、容器は汗をかききっており、中身にはほとんど手をつけられていない。

「おーい、フェン!やっぱりここだったか!」

フェンと呼ばれたその青年は、サーガに呼びかけられても全く反応がない。

優しいが、どこか鋭い瞳は、サーガには向けられておらず、常に何かを追いかけているように見える。

その瞳の先には、さっきの少女がいた。

「そういうことは先に言ってくれよな。ところで、ブラン。あんたはなぜゲービ砂漠なんかでぶっ倒れてたんだ?あんなとこ、地元の俺たちでもめったに立ち寄らないぜ。たまたま俺がいつもより見回りの範囲を広げていたから見つけられたんだぜ?」

ゲービ砂漠はイェンロンと竜皇国の間にある大陸一大きい砂漠である。別名“吸血砂漠”  生あるものの命を吸い取ってしまう過酷さからそう呼ばれる。この砂漠のせいで竜皇国とイェンロンはあまり交易もせず、文化も交わらなかった。しかし、全く国交がなかったわけではない。ゲービ砂漠を越える場合はオアシスを結んだ道“アクアロード”を通る必要がある。イェンロンには遠回りとなってしまうが、砂漠越えには水の確保が最重要である。このアクアロードを砂漠の大型生物シパックで丸10日かけて移動するのが竜皇国からイェンロンへの唯一の道であるといっても過言ではない。しかし、ブランはイェンロンと竜皇国をまっすぐ結んだ線上の、イェンロンからおよそ5リーン離れた場所で倒れていた。アクアロードを通らずに最短距離を向かっていて力尽きたのだ。そこをサーガに運よく発見された。

「そうだ!!君たちの国の王に会わせてくれ!竜皇国が大変なのだ!!!」

「王ってぇと帝のことか?残念だがじいさんみたいな一般人がおいそれと会えるようなお人じゃないんだぜ?」

「一般人なら無理かもしれぬ・・・ だが、竜皇国皇王護衛兵長ならばおそらくは・・・」

ブランの言葉を聞いたサーガの声が上ずる。

「竜皇国皇王護衛兵!!あの飛竜(ワイバーン)のように速く、火竜(サラマンダー)のように勇敢だといわれる“ドラグナーズ”!!その兵長ならば間違いなく帝に会えるな。」

一人でうなずくサーガの首の動きがはたと止まる。

「・・・・・もしかして・・・・・?」

サーガの指が目の前の屈強な老人を指す。老人は無言のままわずかにうなずき、胸元から三角のプレートを取り出した。プレートには竜の手形が彫られている。紛れもないドラグナーズの証拠だ。指の数は4本。これは兵長以上のものにしか許されていない。

「うっそー!まじかよ!!うわー、感激だよ!伝説だけだと思ってたよ!まるで街中で出会った女に片っ端から愛の告白を受けたような感激だ!!あ、サイン頂戴、紙とペンは・・・・・」

目の前の騒動の塊をブランの言葉が制止した。

「帝に会えたならばいくらでも書いてやろう。今は一刻も早く帝の下へ私を連れて行ってくれ・・・・ 頼む・・・」

「残念だけど俺ってうちの村では頼りにされている存在なのよ。例えるなら働くお父さんの後ろ姿みたいな。てなわけで俺は連れて行けないなぁ・・・」

ちらりと薄目を開けてブランの様子を窺い見るが、ブランは引き下がらない。両手でサーガの両肩を掴み前後に激しくシェイクした。

「君じゃなくても良いのだ!帝にお会いして我が国に援軍を送っていただけるように要請できればそれでいいのだ!頼む、君が駄目なら他のものでも良い!私を帝の下へ・・・・・」

「あば、そでなばば・・・・・ いでへ!てぼ、てぼどめどー!!」

はっとブランが手を離した。

激しいメトロノーム地獄から開放されたサーガは恨めしそうにブランを見た。

「いでぇ・・・、舌かんだ・・・ あのなぁ、こんなんじゃ話せないだろ!!」

「す・すまぬ・・・ それで、誰かいないのか・・・?」

「ハイヌマリスみたいにせっかちだな・・・ わかったよ、もう舌は噛みたくないからな・・・ 知り合いで信頼できるやつに頼んでみるよ。」

そういうとサーガは入り口に向かって歩き出した。

「待ってくれ、私もいこう。もう大丈夫だ。」

入り口にかかっていた垂れ幕をうえに持ち上げた格好でサーガは停止した。

「はい?あんたは病人なんだぜ。病人は病人らしく寝てりゃあいいんだよ!」

サーガの言葉を全く聞かずに老人は荷物を確かめている。

「うむ、全部ある。さて行こうか、青年。」

もはや止める気力はサーガにはなかった。

「俺、サインはやっぱり良いや・・・」