白い・・・。

 視覚からの情報を受けた、一瞬のちに痛みを伴う上体を起こし、身体を見回してみた。腕も指も動く。足に力は入らないが動かせそうだ。眩暈と吐き気はするが五体は何とか無事らしい。砂漠の照り返しの光にやられたのだろうか。眼球が痛い。

 生き長らえたことを実感し、安堵のため息を漏らした。たあらためて周りを見渡してみる。安物の白いベッドの上だ。石でできた部屋。装飾はなく、壁一面が白く塗られている。ガラスがはめごろしてある窓からは光が差し込んでいる。窓の向こうには同じような石造りの建物と、黄色い太陽が浮かんでいる。

「よう、じいさん。起きたか。」

 背後からふいに声がした。振り向くとそこには一人の青年が立っていた。まだ若い、少年といっても良いくらいの年頃だ。黒髪に黒鳶の瞳、東の民特有の香色の肌。

 「ここは・・・?」

 「砂漠にぶっ倒れてやがったからな、拾ってきてやったんだよ。」

青年は手にしていた水の入れ物を男に手渡す。

男は礼を言うと、一気に飲み干した。

「それにしても砂漠をシパックなしで越えようなんて、何考えてるんだ?無謀を通り越してアホだなぁ。例えるならば、ライオンが狙っている獲物を横取りした・・・」

青年の言葉をさえぎるかのように男が口を開いた。

「・・・ところで今は光白暦で言うと何日だ?」

せっかくの比喩を邪魔されて少し不機嫌になりながらも青年が答える。

「おいおい、人の話は最後まで聞くもんだぜ?

えぇっと、光白暦ってぇと竜皇国だよな・・・ 今が、水前の月の十四日だから・・・八月二十二日ってとこか。」

「なにっ!!もう三日も経っているのか!?すまない、青年。私はここでゆっくりはしていられない。行かねばならないところがあるのだ。」

男はベッドから立ち上がろうとしたが体がうまく動かない。砂漠の太陽は外套越しにもその皮膚を焼き、砂漠の熱気は彼の体力を根こそぎ奪っていた。

 「じいさん、本当の馬鹿か?そんな体で動けるわけねぇだろ・・・。どこ行くんだか知らねぇが、今の状態で砂漠に出たら、漢方にも使えないシワシワジジイの黒焼きができるだけだぜ?」

 「それでも行かねばならない!私は砂漠の向こう側、竜の末裔が住む国“イェンロン”に行って・・・」

 「じゃあもう少しそこで寝てろよ。」

 今度は青年が男の言葉を遮った。

大げさに両手を挙げながら大声を出した。

 「ようこそ“イェンロン”へ!」

 立ち上がりかけた男の腰が砕けた。ベッドからずり落ちて床に座り込む。

 「ほ・本当なのか!?」

 「おいおい、うそついてどうすんだよ。イワヌキウサギのように疑りぶかいじいさんだな・・・。確かにここは偉大なる皇王様が治める黄竜の国イェンロンだぜ!」

 「そうか・・・たどり着けたのか・・・ 偉大なる竜王様、感謝します・・・」

 男は右手の人差し指と中指を額につけ、そこから胸までまっすぐ下ろした。胸の前で向きを変え、左肩まで持っていく。竜皇国に独特の祈りの儀式だ。

 「そういえばまだ名乗ってなかったな、じいさん。俺はサーガ。ターク・サーガだ、よろしくな!」

イェンロンでは竜皇国とは違い、姓の後に名を持ってくる。

「いい名前だろ。あんたは?」

男はベッドにもたれかかりながら立ち上がり、胸に拳を添えて答えた。

「私の名はヒルデブラン・エッィール。ブランと呼んでくれていい。」

そういうと手をサーガの前に差し出した。

「これは?」

「握手という竜皇国の慣習だよ。握り返してくれればいい。」

「そういうことなら・・・」

そういうとサーガはブランの手をおもいっきり握り締めた。

「ぐぅ・・・、軽くでいいのだよ・・・」

ブランに言われてサーガはあわてて手を離した。

 1.二人の末裔


 一陣の風が吹いた。全ての命を奪うための熱気を帯びている。熱風は砂を巻き上げ、年老いた男の残り少ない体力を根こそぎ奪っていく。身にまとった外套は砂と汗を含んでおり、重く彼にのしかかる。砂埃から呼吸を守るための布が口元にへばりつく。酷く煩わしいこれらの装備も、日射病や熱射病から守ってくれる。砂漠で生きていくものにとって欠かせないものだ。

目の前には丘が見える。これまでに何十回も超えてきた砂の塊だ。この丘を越えれば・・・。幾度となくそう信じ、そのたびに裏切られてきた。おそらく今回も期待はしないほうがいいだろう。

 足元を見れば、時折骨らしきものが転がっている。草食動物のものだろうか。人間のものではないな。そんな気がした。こんな場所まで来ようとする物好きはいないからだ。また風が吹き、砂の中に骨を埋めてしまった。

 わずかばかり持ち出した水は先刻尽きた。時間がなかったとはいえ、食料を全く持ってこなかったのは失敗だった。あれから三回夜を迎えたが、眠った記憶はない。死の行軍をずっと続けてきたのだ。霞がかかったように重たくなった頭に祖国がよぎる。

 倒れそうになる体を支えているのは、もはや使命感だけだ。自らの為すべきことを果たすまでは、おちおち死んでもいられないのだ。頭ではわかっていたのだが、彼の命の灯火はもはや尽きかけていた。一歩踏み出すごとに生気が抜けていくのがわかる。数々の戦場を駆け抜けてきたが、これほどまでの絶望感は味わったことがなかった。

 さらに風が吹いた。熱き風は彼の身体をなで、無残にも最後の体力を持っていった。白目を剥き、薄れゆく意識の中で思ったのは、祖国であった。

「すまぬ・・・みんな・・・。」

~竜戦争~


 今から500年前、まだこの世界に、いわゆる魔法が存在していた時代・・・

強大な魔法を操り、他国を次々に支配下に置いていく国の存在に人々は怯えていた。

バルザック帝国

黒い竜をモチーフにした国旗は、見るもの全てを圧倒する恐怖の象徴であった。

その支配を拒もうとしたのは万人に開かれた技術である“科学”に精通した国々だった。

優れた科学技術を持った国々は連合を結成し、バルザック帝国に対抗して白い竜を旗印に掲げた。

ここに“グラン・ザードの戦い”が幕を開けた。

 この戦争は、双方の竜の旗印から、俗に『竜戦争』とも呼ばれた。

 8年間続いた戦争は、世界をほぼ二分して争われた。

連合国側の最終目的は“竜の玉”だった。

竜の玉は魔法を使用するための魔力の源であり、その存在こそがバルザック帝国の強さの秘密であった

竜の玉を得ることは魔法を使えるようになるということ。

 それは世界を手に入れられるということを意味していた。

 この戦争の中、帝国軍に人々から“竜神”と称される男がいた。

 男は燃えるような赤い髪と、金色に輝く鎧を身にまとっていた。

彼には片方しか瞳が無かったが、竜にも勝るほどの強さ、猛々しさを備えていた。

そのただ一つの瞳は全てを燃やし尽くすように輝き、まさしく竜のそれであった。

ほぼ全ての軍を一手に任されていた男は、ある日突然その姿を消した。

“竜の玉”と共に・・・・・

 竜の玉を失った帝国軍の兵士たちは、軒並み魔法が使えなくなった。彼らには、もはや立ち向かう術はなく、あれほど長引いた竜戦争はあっけなく終わりを迎えた。

 竜の玉の紛失により、あらゆる魔法はこの世から消え去り、万能の魔法である科学の時代が到来した。

 それから500年・・・