サークルの新キャンの反省会というものがありました。今日は誘導と庶務の反省。5限授業で途中からだったし、やっぱり人前できちんと整理して話すのが苦手な私は言おうか迷ったけれど、勇気をふりしぼって手をあげる。ここで勇気をふりしぼらなきゃいけないあたり、あーだめだなと思うけれど、私今回誘導と庶務にはだいぶ、もしかしたら去年以上に関わったし、何だか本当に大切なものはこれだと思ったから、もうどう思われてもいいやと思って発言してみる。でも、言いたかったことをここでもう一度きちんと言おう。

庶務とか誘導って、特に局に分かれた訳じゃなくて、全員でやるからこそ、ひとりひとりがどうしてるかってよく見えてくるし、何がどうできたらいいっていうものが無いからこそ、そして人が見えてくるからこそ、ここまですればよくてこっからは指示受けてないから知りませんとか領域とか、そういうものじゃないと思うんだよね。誘導するために誘導があるんじゃなくて、新入生と一緒にわせべん食べたいから隈前まで誘導するし、わせべんだって新入生と話しながらご飯食べるためにあるんだよ。コンパだって予約取ったり取り仕切るのは庶務だけど、義務でコンパしてるわけじゃないし、義務で誘導してるわけでもない。何か、私はコンパの日に現役というか、まぁ言われた人が言われた人だったからっていうのもあるんだけども、1次会で帰る人と2次会に行く人を分けてて、これは何してるんですかって言われたのとか、わせべんに連れてきたら新入生ほっぽって現役で固まって話すとか、悲しくなったよ。考えればわかるし、別に振られた役以外やらなくていいわけじゃないじゃん。むしろ役なんて、どうしても必要だから決めて配置してるだけで、人手余ってたら足らないとこに行くとか、新入生1人にさせないとか、今歌舞伎町で人いっぱいですごい危ないからどこにいたらいいかなとか、普通に考えればわかるし、どこに人足りてないなーとか、あー人多すぎだわとか、わかるじゃん。そうやって動けばいいのだよ。誘導するために誘導があるわけじゃないし、統括領域が決まっているわけじゃない。大切なのは全てが新キャンの中のものだということをみんなが理屈じゃなくて心からわかってやれてたかなんじゃないかしら。いっこいっこイベントなり飲み会なりを自分が所属するとこじゃなくても新キャンの1つ1つとして大切にできてたかということ。ひとつひとつが別個のものじゃだめなんだよ。ずっと運営に対しても気になっていたことだけれど、全てに言えること。新キャンだからこそ、全てを大切にできなきゃ。

あんまり新キャンの打ち上げらしくなかったのは、まだ全ての反省が終わっていないからだねきっと。こういう風に思ったことを、話したいのだけどなかなか機会がない。でも、機会なんて作ってゆくものだ。話さなきゃ。

こんな風に感じたり思ったりするということが、何だか3女になったことを実感させる。何だかサークルがどんどん違うものになっていくような気がなんとなくして、淋しく、怖く感じる。これが、うちの代が中心の学年ではなくなったことからくる、いろんなことに気づくことからくる淋しさならいいけれど。

最近毎日が過ぎていくのがとても早い。気づいたらもう1週間、という具合に、何をしていたのかいまいち思い出せないまま1週間が経ってまた同じ曜日がくる。何だか最近、私は本当に記憶をするために必要な部分のどこかが喪失しているんじゃないかと思うときがある。でも、気まぐれで書いている日記を読むと、そのとき何を思っていたかって思い出せるものなのね。ノートに気まぐれで書いた日記も、ソーシャルネットワーキングという世界に書いている日記も。そのときの気持ちで言葉の使い方まで違ったりするからおもしろい。人のことを本当に好きになっていたときは、毎日の日記はポジティブで前向き。平仮名多用。私の目は外に向いていて、とっても素直に、いろいろなことに目を向けて、優しくなれていた。けれど、さよならをしたら、目が自分自身に向いた日記ばかり書いている。漢字多用。本当は今書いている日記みたいに堅い言葉遣いよりもやわらかく素直に自分の心を表すほうが得意なのに、こんなに堅い言葉で書いているのは、自分が傷つかないように、何かを守っているからなのかもしれない。

今日は大学のゼミの発表。大木凡人を太らせたような女子大に似合わない先生。話ていて面白いから私はなかなか好き。思い込みは激しいけれど。ただ、もっと本を読んでたくさん話したいと思う。もうちょっとがっつくゼミにしたい。そのほうが面白いと感じるのは、こんなわたしでもやっぱりあのサークルでそういう環境に身を置いてきたからかもしれない。ゼミ幹になったので、コンパをやりますよーのMLを送る。大学で深い話のできる人をゼミで見つけられたらいいなと思う。

火曜日はとても人数の多い私のサークルの中で、心から思ったことを話せる友達の1人がメールをくれた。近況を聞いて心配してメールをくれた。この前の日記、確かに心が波うっているのがわかる。

変なはなしだけれど、こういう風に話せて、メールをくれたりする友達がいてくれることがすごく嬉しかった。

高校の時の親友が日曜日に手紙をくれた。サークルの新歓合宿から帰ってきたら届いていて、開けてみると近況が書かれたルーズリーフ。会計士の試験に向けてがんばってるのだけど、迷ったり泣いたりしている様子を読んで、あぁ1人じゃないな私、と思った。やっぱり彼女は私にとって無くてはならない存在で、刺激かつ笑いかつ安らぎ、みたいな感じだと今なんとなく思った。

明日はサークルの新歓の打ち上げがある。3限からで朝ゆっくりできるのもうれしい。英語やらなきゃ。そしてあさっては、サークルの後輩同期先輩と安楽亭ビア大!!に行く。やっと実現する。嬉しい。この先輩とは、本当に1度2人でゆっくり話して飲んでみたいと思う。明日が終わったら、GW怒涛の11連休。すこしゆっくりして、心をやわらかくしたい。


いくつか書いたことはあったのだけど、本当にはじめようと思います。

題をたんぽぽにしたのは、今ちょうど大学にたんぽぽがたくさん咲いていて、小さいけれどしぶとく、しっかり花を咲かせていて、とってもきれいだったから。そんな人になりたいということ、そしてそんな小さなたんぽぽが咲いていることに気づいて、足を止めることのできる人でいられますようにという願いを込めて。

普段は起きていられないのに、今日はなぜか眠れない。でも、理由はわかっている。

きっと1年経ったら。私が何を思っていたのかわかるはず。せめてそのときにわかっていてほしい。そう思っていたけれど、どうやら無理みたいだ。今日はこんなにも幼くて大切なものがわからないことに悲しくなり、そして何よりもそんな人を好きでいたことやそのことで今でも落ち込んだり考えたりしてしまう自分に腹が立った。なんてばかなのだろう。そしてどうしてこんなにも幼くてわからないのだろう。Kで心から繋がることのできた人は何人いるのだろう。いつも不安になり、あんなにたくさんの人がいるのに寂しさを感じている。私が間違いだと思うことが正しいことだとされていたりして、苦しい。苦しい苦しい苦しい。

私は大学に入ってから嘘をつくことがとても上手になったと思う。嘘は自分が危険にさらされないための手段なのだろう。本当は心底楽しいと思えてはいないことを楽しいと言い、本当は心が削れるように不安で苦しくて誰かにすがりたいのに、独りで大丈夫かのような振りをする。本当は煮えたぎるほど腹がたっているのに、ぐっとおさえて笑顔でいる。最近慣れすぎて、それが私の性格のようになってしまっている。そうするのが当たり前で正常になってしまっている。それがどうにもやりきれなくなる瞬間がくる。正常と異常の境界線なんて絶対のものはなくて、いつの間にかすりかわり、それが当たり前になる。怖いことだ。

私はまだ好きなのだろうか。きっと好きではない。大切な人、大切な後輩。今日までそう思ってきたけれど、今日はそう思うのは無理。彼女じゃなくてもできるという言葉を絶対に忘れない。私がどんな想いで見つめていたか伝わらないのは、悲しいというよりも悔しい。

くそーどうして好きだったのだろう。もっときちんとしていると、人の心を理解できる大人だと思っていたのに。腹立たしい。