ボストンテリア★ビュッフェ日記

ボストンテリア★ビュッフェ日記

食いしん坊のビュッフェちゃんと家族のほのぼの日記♪

3歳目前の健康診断で腎臓機能低下と分かり、
腎不全の治療をして生活してました。

訪問頂き、有難うございますわんわん


最近はブログおさぼり中で震災後はtwitter(ID:buffe67)やっています。

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タイトルからするとスピリチュアルな感じもしますが、
そんな能力は一切ございません、ビュッフェママです。

ビュッフェを感じるというのは

ビュッフェの毛がフリースや厚めの衣類の内側の縫い目のところに刺さっていて、
(大半、家着に刺さっている)
それを着るたびにチクチクして

「アタチは、ここにいるよ」
photo:01

って言ってるみたいに感じるんです。

生前はチクチクして嫌だなぁ~と思っていたんですけどね。

ビュッフェは他の子より毛深くて、
(年末、Mahaloさんとお腹の毛を見比べたら、
やっぱりビュッフェの方がもっさもさ、フサフサだった。)
病気で毛まで栄養が行っていなかったからか?
背骨の上の毛は凄くバリバリしていました。
自分の足の裏が痛いな~って思ったら、
ビュッフェの剛毛が足の裏に刺さってたなんてこともありました。

他のボステリちゃんはとても毛が薄くて
毛艶がいいのに...なんて思ったこともしばしば。

もちろん、私達の衣類とビュッフェのものは別々で洗ってはいましたが、
洗濯機は同じものを使っていたので、
ビュッフェのものを洗う前に粘着テープでコロコロしても全部取りきれるわけもなく…(汗)

まぁ~毛も含めてビュッフェの個性だったんだなぁ~と今は思えます。

今日はビュッフェの初の月命日でもあり、震災から丸2年でもありました。

食事や睡眠は取れていますが、毎晩枕を涙で濡らす日々が続いております。
今も旦那君と一緒にビュッフェ(お骨)のいる和室につながっているリビングに布団を敷いて寝ています。

ビュッフェが逝ってしまってから、色々な事がスイッチになって涙腺が緩みっぱなしです。
大泉のBOSS君パパさんのもとさんから教えて頂いた、銀次ママさんの「ペットロスのお話」を熟読して、泣きたい時は泣くを日々実践しております。

ブログもビュッフェの入院時のことを忘れないうちにと書き溜めて保存してはいるんですけど、
書いている途中で泣けてきて、まだちょっとUPするにはまとまっていないので無理かなぁって感じです。

ここ数日は震災の悲しみとビュッフェがいない事が入り混じって、酷く落ち込んでいました。

凄くビュッフェに会いたいです。
photo:03

旦那君に甘えるビュー、カワイイなぁ。

震災関連番組でたまたまPTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しんでいる被災者さんを知りました。

PTSDとは、心に加えられた衝撃的な傷が元となり様々なストレス障害を引き起こす疾患のことで、下記3つの症状が現れるそうです。

①精神的不安定による不安・不眠などの過覚醒症状。
②トラウマの原因になった障害、それに関連する事物に対しての回避傾向。
③辛い体験等の一部や全体に関わる追体験(フラッシュバック)
だそうです。

そこで私が気になったのがその治療法でした。

PTSDになると、過去の辛い記憶を回避する為に記憶が欠落して時系列で記憶が追えず、断片化した記憶しか残らなるそうです。その辛い記憶を思い出して、記憶を繋げていく事が回復への第一歩らしく、辛い記憶を書くことで心を癒やす「筆記療法」とやらがあることを知りました(語ることでも同様の効果があるそうです)。

現に震災の「語りべ」をすることで、家族の死を受け入れ、PTSDに陥らない方々がいらっしゃるようです。

私はPTSDではないけれど、ビュッフェの事、特に最後の闘病について書き綴る事でビュッフェの死をもっと受け入れられるのかもしれないと思いました。
だから少しずつ書き溜めて、UPしていこうと思います。

私達夫婦のかすがいだったビュッフェが居なくなってから、旦那君とはビュッフェの話ばかりして、珍しく大きな喧嘩をすることもなく、仲良くやっています。
ビュッフェの話をすることで夫婦共々癒されているのだと思います。

今日はビュッフェにお花を買って来ました。
photo:04

左奥の白い花束だよ。
ビュー、気に入ってくれているかなぁ?

東日本大震災で犠牲になられた方々へ黙祷。

ビュッフェに合掌。


最近だいぶ寝られるようになりましたが、
夜ふと起きるとビュッフェを探してしまうビュッフェママです。

ビュッフェが逝った事を電話で福島の母に伝えた時
母も電話の向こうで泣いていた。
電話の向こうで嗚咽混じりの声で話していた。

わたしの母は基本動物が苦手で
実家で家族が動物を飼っていた時も
私はダメ~って言って、家族が世話するのを遠目で見ていた。

そんな母ではありましたが、
私達夫婦がビュッフェをペットを飛び越えて
我が子として可愛がっていたからか?
ワシャワシャ触って可愛がるわけではなかったが、
優しく見守っていてくれた。

結婚して子供も居ないので
きっと母もビュッフェのことは孫の様に
思っていてくれたんだと思う。

入院したことも入院後痙攣発作が起きていたことも伝えていたので
身近でワンコを看取ったことのある方に
色々と聞いていてくれたらしい。

ビュッフェとはお泊まりで旅行したことがなく、
福島の実家に帰省の際にお泊まりしたくらい。
今年の正月は福島に帰ることが出来なかったので
最後に会わせられたのは、去年の11月母の退院祝いに1泊で帰省した時。

私の父も兄弟も姪っ子もビュッフェの事を可愛がってくれていたので、
お正月に帰ればよかったと後悔。

何が言いたかったかというと、
お母さん、本当に有難う♡ ってことでした。
photo:01



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お久しぶりです。

突然ではございますが、ビュッフェが2/11虹の橋を渡りましたのでご報告致します。

アメブロは、前回のアップが震災後でしたので、もう2年弱放置しっ放しでした。
その間、Twitterを始めたりInstagramを始めたり。
ビュッフェと色々な所にお出かけして、お友達も増えて楽しく過ごしていました。

しかし今年1月末から少し様子がおかしく、
2月初旬から8日間入院、集中治療をしましたが、
結果的には持病の慢性腎不全が原因で逝ってしまいました。

享年 5歳8ヶ月と3日

3歳前に腎機能低下と判ってから、投薬や治療の生活を送っていました。

短い命ではありましたが、ビュッフェは頑張って生きてくれました。
かかりつけの獣医さんも看護師さんも頑張って下さいました。
私達夫婦も彼女に出来る限りの治療をしました。
入院中の大半、夜は自宅で看病して、
ビュッフェの最期には夫婦揃って看取ることも出来ました。

思い返せば、もっとやって上げられる事があったんじゃないか?と
後悔は尽きません。

昨日2/17、やっと火葬が済んだばかりなので、
まだ気持ちの整理がつきません。

でもこれだけははっきり分かります。

ビュッフェの入院中、TwitterやIGや近所のワン友さんが、
ビュッフェと私達夫婦を励まし応援してくださって、
ビュッフェは沢山の方々に想われていたこと。

色々なアドバイスも頂いて本当に感謝しています。
皆様と私達夫婦の縁を結んでくれた皆様のワンコさんと
ビュッフェに感謝の気持ちでいっぱいです。
本当に本当に有難うございます。
旦那君の両親にも私の両親にも感謝しいています。

ビュッフェ、有難うね♡
凄くよく頑張ったね。
お空の上で、先に行ってるボステリ仲間のロサさん、
アルト君、ジンベイ君、ももさん、ブブさんやくーちゃんetcと
たくさん遊んでね。
Voice hair の元オーナーの齋藤さんにも遊んでもらってね。
闘病中、食べられなかったお肉もたんまり食べてね。

あなたは私達夫婦の初めての娘。
絶対忘れないし、いつも心はそばにいるよ。
photo:01



今回入院したことで今まで以上にネットで腎不全について調べました。
でも情報が多すぎてよく分からず...(焦っていたので余計に)
且つ、猫の腎不全は多いのですが犬の情報が少なかったように感じました。

今後、少しずつビュッフェの闘病について、
ビュッフェケースとして腎不全闘病記を書いていけたらと思っております。

そして少しでも誰かのお役に立てるのであれば幸いです。

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お久しぶりです
皆様ワンちゃんご無事でしょうか?

私の実家は福島の浜通り
なかなか連絡取れなかったけど、
やっとこさ連絡がついて
家族全員の無事が確認出来ました
でも隣町の母の実家は津波の被害にあったらしい…
心配だ…

さいたまもだいぶ揺れました
マンションの8階なのですが
耐震構造のマンションなので
凄く揺れました

揺れる事で地震のエネルギーを
逃がす構造設計=耐震なので
上の階に行けば行く程揺れが大きい

余震の度にグアングアン揺れて…
ボストンテリア★ビュッフェ日記-未設定
怯えるビュッフェ
ビュッフェと一緒にいてあげられて
本当に良かった~

いつでも避難出来る様に
洋服とジャンパーとハーネスは
地震直後から付けっぱなし

もちろん、エレベーターは止まっていて、
8階から地上まで階段で行き来する
エネルギーないので
避難の準備はしつつも
その後の15:15の強い地震や強い余震の度に
キッチンの引き出しが全て飛び出して
スチールラックが倒れそうに・・・。

左手でラック、右手で吊り戸棚を
抑えて何度も耐えたけど
両手がふさがっている最中
目の前で400Lの冷蔵庫が動き出した時は
死ぬかと思いました
てなわけで、長くなりましたが
結局のところ
避難せずに家の中を守ってました

今も余震が続いていて
なんか、自分が揺れているのか?
本当に揺れているのか?
判断がつかない…
三半規管おかしくなりそうです

皆様、今後も気をつけて下さい
被害に遭われた方々、被災地域の方々の無事を
心より願っております

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