素振り | 夢・希望・愛 心豊かなれば技冴える  武道に感謝 心風館 館長 山村幸太朗

夢・希望・愛 心豊かなれば技冴える  武道に感謝 心風館 館長 山村幸太朗

人にはもともと自然からいただいた素晴らし能力が潜在しています。それは、すでに日常の生活に根付いている生活レベルの文化の中にあるのです。武道文化を活かし、さらなる可能性を・・眠っている潜在能力を開発する。「気」という世界観は、武道文化の中に眠っています。

3日ほど・・ちょっとだけ素振りをする。

動画を撮ってっみる。

自分の今を知る為に・・・・。

鏡は、ほとんど観ない・・内観の感覚が薄れるから。

 

新陰流の切りには・・色々な留意点がある・・。

位の取り方から・柄の位置・刀の角度・肘の使い方。

「嵩に嵩を掛ける」「嶺谷を斬り通す」

拍子の事。

手の位置。手と手の間の隙間の事。鍔と手の隙間の事。

柄の握り方。

体の使い方。

円相の斬り

等々。

体の使い方や・・斬りの一つ一つに対する教えは、多い・・

たとえば、水車勢と呼ばれる切・・・相掛け流し・相掛け返しなどという型の中の切りには・・やはり、チャンとした教えがある。

たとえば、疾雷刀という斬り・・ここには・・・その斬りを出す前・・斬り込んだ時・・・斬り込んだ後・・と、それぞれに教えがある。

合雷刀・合撃(がっし)にも・・・「我人中路を斬り通す」という教えがある。

雷刀からの切りに対する稽古は、尾張柳生兵法指南補佐、長岡先生が・・考案した勢法という型試合があり、

その勢法は・・六一本あり・・その一本一本に違う勝ち口がある。

以前、鈴木さんから聞いた話では・・新陰流の勝ち口には210数本の勝ち口があるとおっしゃっておられた。

 

それが、すべて型と言う形で残っている・・これほどの、文化、財産はどこにもないのではないだろうか?

これを、簡単にするなど・・かんがえただけでも罪だと私は思って居る。

新陰流を習い始め・・4・5年経った頃の合宿で・・鈴木さんが・・私をある先輩の処へ引っ張て行ったのを思いだした。

「君ね、これに・・全部教えてあるから・・これから聞きなさい・・・」

私は、立場がない・・こまった事は必然だった・・

しかし、その先輩は立派だった・・私と、一通りの稽古をして下さったのだから。

 

十四勢法は、城郭勢という構えを学ぶ所・・。城郭の様に堅牢な構えカラ・・相手を誘う処を見せる。

しかし、城郭に隙があれば・・斬れてしまうから・・。

その斬りを学ぶのは・・打太刀にとってはとても重要な経験になる。

城郭勢を打ち破る斬り。

その斬りを打ち防ぐ城郭勢を学ぶ事が、やはり・・腕のある先輩との稽古の面白味なのだと思うのだ・・

私は、鈴木さんとの稽古の時は・・本当に、ドキドキしながら籠手切を待ったものだ。

 

足だって切れる。籠手も・・・すべてどこでも、当てる事が出来る。

それは・・・難しい使太刀を、使いこなす事が出来る様になれば・・自分の隙をどう埋めなければならないかわかるから。

打太刀になった時に、相手の隙が観えるのだ。

 

三日の素振りで・・私は・・ちょっと最近気になって居た事を確認した・・切っ先の廃れ。

竹刀稽古の時も、自分の中でそれを意識できていた。

切っ先が廃れて居るのではないか?と・・・・。

構えの中で・・切っ先が・・・・・やっぱり・・・・そうなっている・・。

小指の問題で有る事は・・三日目に気が付いた?いやいや・・以前にも、同じ様な感性の中で・・その事に気が付いた自分が

居た事を認識して居る・・・はずだった・・が・・忘れていた。

 

で・・また、同じ事に気が付いている自分が居る・・・結局、駄目な所は・・わかるのだ。

なぜって・・真剣での素振りで・・まったく、分かる。

二日間、わざと・・靴下を履いて素振りをしたが・・・それでも、体幹が崩れず・・止める事ができている。

当然、肚で留めて居るから・・踏ん張りが効かないのはちょっと厳しいが、それなりの足を使っている。

足は・・一直線を外して居ない様だ・・前足に連れて・・後足が動いてくれて・・その足の上に体が乗っているから、方向は自在に変わる。

 

三日の後半・・真剣で同じ様に素振りをした・・さすがに、真剣の時は靴下を脱いだ・・怖いという感性が、生まれて来る。

躓いたら・・・と考えれば・・どの様に体勢を崩しても・・刀か私が怪我をする。

刀を怪我させない様に、天井にまで気を配る。

そしたら、刀廃れて居ないのが・・動画を観てわかった・・なるほどね・・重いから・・か・・・。

だから・・・この処・・ずーっとだが、木刀を振る事の難しさを実感していた。

木刀の軽さに戸惑いながら・・バランスのとれない事に・・・なんで?と????疑問を投げかけて居た。

 

真直ぐきれねーーーーな・・・。

これ木刀のせいか??眼がいいのか悪いのか・・・わずかな、木刀のずれが眼に入ると・・もう、気にいらないのだww

ここに、木刀稽古での矛盾が・・一つ明確になった(今この瞬間に)

脱力という感性を身につける事は、物を扱う時には非常に重要な感性であるが・・・。

それでも、刀を振る人の大半は・・手が下がってしまって、隙だらけなのに・・・木刀を太くて重い物に変えて行く傾向が観える。

力がある人・・特に肚が座って来た人は、軽い物を重い物の様に使える様に稽古するのが良いのではないか?

と・・・・最近の自分の竹刀稽古や木刀での素振りを観て気が付いた。

力が入れば・・すぐに・・木刀づれちゃうんですよね・・軽すぎて・・って・・重いのに変えます???

 

しかし・・・木刀も脱力した感性で・・たとえば・・柄頭の位置も良い、腕・肘の位置も良い、それなのに・・何故・・廃る???

それが、軽い物を持った時の脱力による弊害だという事に気がついたが・・これで、真剣を持ったときには・・ちゃんと大切なの処に

力が入っているから・・廃らないのも分かったので・・安心した。

そして・・・刀のブレもほとんど感じられないから・・・これも、安心した。

 

しかし、課題は残る・・軽い物は、ちょっとした力みで・・アンバランスな気にいらない自分を演出して暮れるという事。

力に頼らない・・さらに・・肚の力だけで振れる自分を演出できる様に・・工夫が必要。

(木刀のずれは・・振り始めに多く・・微妙だが・・気にいらない・体の位置・足の位置・腰の向き・などなどチェックするが・・一番の原因は・どうも、腕の力の懸り方のアンバランス・・・・・という事は・・やっぱり、左の緩みが右寄り大きいという事か・・・・緩んで・・から、入って行くところ

だから・・たまに、拍子が増えたりもするのが・・1日目の素振りの前半に観られたが・・その後は、修正され拍子が増える処は、無かった)

 

最後に・・もう一つ・・・斬りが小さいな・・・もっと、大きく遣いたい、遣える様になると良いなと、感じた。

以上、素振りによる検証でした。