剛の力とは・・ | 夢・希望・愛 心豊かなれば技冴える  武道に感謝 心風館 館長 山村幸太朗

夢・希望・愛 心豊かなれば技冴える  武道に感謝 心風館 館長 山村幸太朗

人にはもともと自然からいただいた素晴らし能力が潜在しています。それは、すでに日常の生活に根付いている生活レベルの文化の中にあるのです。武道文化を活かし、さらなる可能性を・・眠っている潜在能力を開発する。「気」という世界観は、武道文化の中に眠っています。

剛の力と言う事は・・なんとなく固い感じや、強引な感じ・・

強くて堅い感じ・・もの凄く強い感じ、そういうイメージでとらえてしまうと思います。

 

剣術で・・私達は、よくBさんから教えて頂き・・当分・・いえいえ、つい最近までも・・

注意・お叱りを受けた事に・・・

「全身の働きを遣え」と言う事があります・・

 

これは、具体的にどうやるのか・・

そんな事は一切教えて頂いた事は、無い。

 

それは・・自得して、体得して行く事・・・

見渡せば、体得と言う事が最近おろそかになって居る。

言葉巧みに・・いかに、簡単に納得させ理解させるか・・

頭で理解する事と体得させる事を

同等化している横着さを・・垣間見るのです。

 

本来の、武道はそうでは無かったはずです。

 

なんでも割と簡単に手にはいると、脳に思いこませている。

すると、体を動かす事の価値や・・私達個は、実は自然の中の一部であるという事の

大切さを忘れていくのだ・・。

 

武道には・・武道でしか味わえない醍醐味や、面白味・・

いわゆる・・武道文化の奥深さを感じさせて暮れる事が、非常に多く・・

その究極は「気」の体得であるという事・・

それは、延々と続く果てしのないロマンにも似た・・

匂いのする面白味・・・深さであると・・私は、ワクワク感を忘れない。

 

この1年程で・・宇城先生の寛大なるお心持ちから「気」が重力の成せる技であり

その汎用性は、多岐にわたる非常に可能性の大きな存在で有る事が明らかになりつつある。

私は、幸運にもその片鱗の旨味を味わう事を許されたのか・・天命に感謝するばかりである。

 

しかし、重力などと言う感性は古にはなかった・・

それでも・・古の武士達も、また・・その究極を目指し・・

日夜の稽古にはげんだのだろうと・・思う・・。

横着する事なく・・・・。

横着とは・・身体で理解する事のない小手先の事・・。

 

上泉伊勢之守も柳生石舟斎も・・

伊藤一刀斎も・・柳生兵庫助も・・

柳生連也も山岡鉄舟も・・

その境地に立てたからこそ・・

現代に、その功績を残してこれたのではないだろうか。

 

誰もが・・体を鍛える事からか・・始まる事・・

それは、筋力的な事ではあったはずだ・・。

しかし、それでは直ぐに疲れてしまうし

継続性もない・・

どうすれば、持続的に強い力を出し続ける事

が、出来るのだろうか・・。

 

農耕民族の私達の祖先は・・すでにその答えを持って・・

剣・刀を振りだしたのではないか・・

剣や刀を最初に手に出来る人は限られいるが・・

そこには、平民とは違う感性や体力や知力があっても

なんらおかしな事ではなかったとおもう。

 

農民が・・一日中鍬やスキを振り降ろす・・朝から晩まで繰り返す

・・その身体性やいかに?

それこそが・・坂さんの言う「全身の働き」なのである。

 

刀を振る事を・・簡単ととらえるべきか・・

それでは・・まったく刀にも・・クワにも触った事のない人間が

農夫の様に其のものを扱えるだろうか・・

餅つきの杵を・・降り降ろす姿をテレビなどで観ていると・・

年配のお年寄りの・・立ち居振る舞いと・・初めて触る人との

差は・・誰が観ても明らかな所である。

 

力のないはずの御歳よりが・・若い人よりも・・

より力つよく効率的に餅をつく姿を見せていただくと、

年季とでもいうのか・・体にしみこませて来た、

感性を身体が勝手に表現して居るかの如く自然体に観えるのは

私だけだろうか・・。

 

これこそが、衰えない力・・身体性の顕れ・・

その基本的な感性であるとおもうのだ・・。

剣術も、全く同じ感性をやしなわなければならない・・・

こっちが良い・・あっちがよい・・ああしよう・・こうしよう・・

これでは、まったく良い事になるはずがない

その人の、立ち居姿に憧れるなら・・

まず、その人のやって居る事・言って居る事を体現でいるなければ

ならないだろう。

 

それこそが・・立つという事に繋がる感性であり・・

動きを伴えば・・その立姿で歩くという事

その動きを、肚へ力として伝える事ができれば、

肚からまた手や体全体にその力が浸透して行く。

 

型とは・・その道筋を造ってくれる武道文化の叡智でなければならない。

その叡智に・・感謝し学ぶ心・・・それが、基本であり・・

ともすれば・・

自分が主体で、型を打って居る

型を打ってやって居る位の心でしか型と接する事が出来ないのであれば

早くそのレベルから抜け出す事が必修と思われる。

 

「剛の力」・・それは、まぎれもなく自分自身で創りだす・・

筋力を主体とする力ではあるのだが・・

その力は部分部分で分散して居る力ではなく・・

繋がりを持った力で有るという事・・

これは、関節で遮断される筋肉よりも・・

全身に繋がって居る筋膜を意識できる事がとても重要で・・

まさに、内観と言う感性をどう意識できるのかといえば・・

たぶん筋肉よりも神経系の伝達の網羅も多い

筋膜がその役割を果たしていると感じて居る。

 

その繋がりは・・また、血流でもある・・・

呼吸は私達と自然を常に繋ぐ・・モノだが・・

その自然を全身に行きわたらせる役割を

血管がして繰れているのだ・・と言う事は・・

呼吸力やその機能を上手く遣える事、それから発達させる事が、とても重要であり

ここが柔の力への変換に大きな役割を果たしていると・・私は感じて居る。

 

肚と言う事は・・内臓を下に下げる重心を下げる感性だが・・

その機能は横隔膜の発達がとても重要であるのだ。

肺は自律して動いて居る訳ではない事は周知であるが

横隔膜という筋膜の収縮がそれを司って居る。

腹式呼吸を練る・・事で、その発達は成るのだが・・

吐いても、吸っても腹圧を上げる事が出来る程・・の

横隔膜の発達が、まずは第一条件になるだろうか・・。

 

まだ間だ・・色々な要素を組み合わせながら・・

身体の使えていない処を・・武道の立ち方の中で検証できれば・・

それも気付きといして、体は覚えて暮れるはずだ・・

それが・・すべて・・全身の働きという感性につながって行く事・。

そして、その働きの中では立つという事が・・9割で・・

部分を意識する事は・・その次に来る感性と考える事ができる

身体性をやしなわなければならない。

 

その事が、かなりの重要性を持って居るという感性が芽生えれば幸いでもある。

刀を振る・・と言う事は・・そう言う感性を磨くためには・・とても重要と考えてよい。

突きを打つ感性が・・そこにのりうつれば・・

突きの出し方も変わってくるとおもうおだが・・

 

当たれば良いという感性でしか・・突きの稽古が出来て居ない・・

また、数を熟すだけなら・・

突きの稽古も素振りも・・

やっても、あまり意味がないと私は思って居る。

 

そう。。「剛の力」とは足からの力を肚に通す・・

そして、その肚の力を全身に行き渡らせる事・・

全身を使って・・たとえば手を動かせる様になる事・・

それは、私の場合であれば・・片手を3名に両手で抑えられても、

手を浮きあがらせる事が出来る程の力で・・

 

柔の力は・・それが・・さらに柔らかい動きに変化する・・

難なく上がるという感性でとらえる事ができる・・

実際、腕を抑えた人も・・そう言う感じを受けている様だ。。

剛の力が出せる稽古も必要・・

それを技の中で出せるようなる感性も練らなければならない・・

それは・・型の叡智が必然的に教えて暮れるものだが・・・・

古流カラの流れの無い型に・・その力があるのか?といわれると・・・かなり疑問である。

 

身体を練るという感性の元に・・型をねるのであれば、出来て居る人の模倣・・

習う・学ぶ事がとても重要で、そこの処を自得できるという事は、無理だともおもう・・

なぜなら・・それが歴史から学ぶという事で、過去を今に再現できる

文化の中に内在しているパワーであるとおもえるから。

 

部分部分を分けて鍛錬していたのでは・・時間がいくらあっても追い付かないだろう。

それから・・細胞レベルで考えてあげて欲しい事もある・・

細胞は私たち自身で・・あるのだから大切にしなければ

言う事も聞いてくれない・・痛め付けて言う事を聞かせば・・

いつか、裏切られる事もあるやもしれない。

嫌がって居る事を無理やりやらせれば・・壊れるのは必然で・・

それなら、メンテナンスなんてやってもあまり効果はないのではないか?

内臓疾患や・・蹴るのを嫌がる脚・・・

 

足から繋がる力を・・相手の足に負担として加えてあげると・・・2・3年前の動画ですが・・

 

 

 

そして・・型の技を使うと

 

 

 


足からの力は・・

 

 

 

以上の事は、決して全ての人に共通する事として捉えられる事ではない・・

武道という文化の中には・・柔道も空手お合気道も色々な道がある・・。

その中で、自分の進んで来た道を大切に思い、さらに費やした時間を有効にする為に

私が、学んだプロセスの一部がお役に立てば幸いと思い・・

思い付きで書いた事・・故・・

寛大なるお心持ちにて・・よろしくお願いします。

 

山村幸太朗