知ってやるのか・・知らずにやるのか・・ | 夢・希望・愛 心豊かなれば技冴える  武道に感謝 心風館 館長 山村幸太朗

夢・希望・愛 心豊かなれば技冴える  武道に感謝 心風館 館長 山村幸太朗

人にはもともと自然からいただいた素晴らし能力が潜在しています。それは、すでに日常の生活に根付いている生活レベルの文化の中にあるのです。武道文化を活かし、さらなる可能性を・・眠っている潜在能力を開発する。「気」という世界観は、武道文化の中に眠っています。

私が・・空手を始めた頃・・黒帯の先輩方の強さは、異常に思えたものです。

其の頃は、素手素足・・サポーター等は一切なく・・組手は、毎週金曜日の残り時間30~40分を使って・・

元立ちで・・

色帯から受けが始まり・・二人~・・帯が上がるにつれて・・人数が増えていきます。

白帯は・・どんどん・・先輩の前に立ち挑んでいくわけですが・・

ガチンコの組手は・・毎週厳しい・・痛みを乗り越える事から・・翌週の月曜日の通学・・にも・・響いたものです。

 

そんな・・組手を繰り返す中・・蹴れば・・こちらの足を痛める・・

 

先輩達の足は・・いったいどうなって居るのか・・・

 

当初、その実力差に驚かされ・・黒帯の先輩達の様に、なれるのだろうか・・と、本当に疑問に思ったものです。

絶対にそうなれる・・という、保証もなく・・どんどん、周りの同期が居なくなり・・

そうして・・黒帯に成れた時・・不思議だなと思い・・人間の持つ能力の開発や・可能性を感じ・・実感したのも事実だったと思います。

 

「成せばなる、成さねばならぬ何事も。」

 

ともすれば・・人は、自分の能力を決めてかかり・・それに準じて他人の能力も決めてかかる・・上から目線を好むものです。

そういう人は、自分の限界を・・早くに見定め・・諦め・・てしまう・・

ごくごく一般的な思考の方であるように、おもうのです。

 

それから・・意味なく突き進む根拠もなく・・ただ好きだという事だけで・・継続出来る。

「継続は力なり」

本当に、物のはじめの根本の心理であると、考えます。

 

自分に限界を感じてしまったり・・早くから・・その限界点を低く設定してしまう事は・・私は、もったいない話だと・・長い間、思っています。

 

一度、取り組んだら・・とことん・・やれる処まで・・・・そういう気持ちを100パーセントとは、ならないまでも・・60パーセントは、己を信じる事の出来る心として・・持っておきたいものです。

60パーセント持っていれば・・ある程度の処までは・・観える様になるのかもしれません。

 

サンチンの型を練り始めた・・10数年前も・・白帯の頃と同じ心境だったと思います。

厚木道場で、白帯を締めて稽古に参加しだした時も・・

全く・・先が観えない・・状況だった事は、間違いありません。

剣道でも・・真直ぐに振り降ろす事が、こんなに難しい事かと思っていたものですし・・

思いだすのは・・・Bさんに・・稽古を付けて頂いていた初期のころ

65歳を過ぎた、背の低い・・線の細い大先輩に・・思いきっての斬り降ろしが出来ず・・・

いつも・・叱られて居た事を思いだします。

稽古をお願いしても・・少し・・嫌そうな顔をされる・・・

「山村君は・・手加減するからなぁ・・・」

 

今の私・・ww空手でガチンコの組手をしたら・・「もうちょっと、緩めにやろうや・・」・・・(こっちも、本気に、ならなきゃいけなくなるのが・・怖い)そんな事言っても・・若い力は・・遠慮なく、くるものですが・・

その辺りの加減は・・非常に難しいものです・・。

いつも顔を合わせ稽古していれば・・お互いの意気を合わすという事も可能ですが・・初顔合わせは、本当に気を使います。

ですから・・ライトスパーという事の中に・・ある程度の真剣身を持つという事に於いての・・顔面ありは、緊張感があり、またケガもなく技術向上のみに重きを置く稽古として、私としては・・良い稽古であると思って居ます。・・・・話が・・飛んだ・・(^_^;)

 

そんな・・Bさんの言葉に・・いつも、私は・「本気の力で打ったら危ないでしょう・・」と内心思っていたのですが・・これは、間違いでした。。腕が違うという事・・ただ・・真直ぐに斬り降ろすという単純な様に思える、斬りであっても・・これが、働きという事に、目をうつせば・・色々な意味で、私は・・全然、ダメだったという事です。

 

そんな事に気付いたのは・・初めて3年・4年経った頃でしたか・・二人の大先輩・・Bさんと・・Sさんの切りが・・その日を境に変わった事からでしょうか・・。

レベルの違う・・斬りを実感したときでした・・。

 

そうやって・・打ち負かされて・・観えて居なかった事や・・気付いて居なかった事??気付いては居たが??・・もっともっと練り込まなければならないと思えた事があったわけですが・・。

私は44・5歳・・お二人は69歳と64歳・・背格好はほぼ同じです。

 

しかし・・そんなレベルの切りがあるなんて・・知っているはずもなく・・そして・・練り込めば・・そういう斬りなになるなどと言う事なども・・知りうるはずもなく・・。

 

そうして・・気付かない間に・・空手の型が・・刀禅が私の身体に良い影響を及ぼして行き・・教えを受けるという事もなく・・身体の妙を感じる事が出来る様になってしまった?のです。

 

教えを受ける事なく・・と言う事は・・工夫の一環であります。

当然、初歩的な教えを受けるわけですが・・空手の型に関しては・独学と言う事も言えるかもしれません。

今、当館で行って居るサンチンもナイファンチも・・教授を受けたものではないのです。

基本的には・・心道流の型を模してていますが・・。

 

知って居るから・・出来るのではない・・のです。

むしろ・・結果を知ってしまってからやり始める事の方が・・結果に惑わされて・・心を惑わされる要因になりやすい様な気がしてなりません。

ああなりたい・・こうなりたい・・そういう単純な思考を・・どうその過程の中で昇華させ・・奥行を見出す為の稽古・工夫ができるのか・・

 

知っていても・・出来なければ結局同じなのです・・知って居るだけで・・出来て居るという錯覚に陥ってしまっている人を良く観受けます・・が・・

もったいない・・いくら話しをしてくれ・・知って居ても・・・・稽古の中に居て実践できている方が、よっぽど説得力があるのではないでしょうか・・。

 

できなくなった・・力がなくなった・・歳と共に・・

先々、考える問題であります・・いくら肚を練った処で、たぶん死を避け・・衰退していく過程を避ける事は、難しい事でしょう。

 

ある程度の事が出来る様になり・・それが、実感できる様になってからは・・まだまだ、伸びるという実感はあるものですが・・・

それも・・いつかは・・・

 

しかし・・そんな事・・知っていたくないものです・・。

知らない方が・・よっぽど良いのかもしれません。

 

夢が・・無くなっていく・・達人と呼ばれる人が・・

現在は、まだまだ居るのですが・・・

その事を知り・・その事実を認める人が、少なくなって来て居る以上・・達人が、今後顕れる可能性が・・どんどん縮小して行く事だと思われます。

 

可能性を秘めて居る人・・センスのある人は・・ご先祖様からの贈り物として・・その遺伝子の中に持っている人が、多く居るとはおもうのですが・・

可能性を閉ざし・・決めつけてしまう・・ような価値感の中では、その芽も吹く事も、ないのかもしれません。

 

ああぁ・・勿体ない・・勿体ない・・・(^^♪

 

先生方・・今まで・・接して来た先生方は・・

君みは、無理だ・・とか

難しい・・とか・・

という様な事を言った人は、一人もいなかったとおもいます。

 

武道の先生は、そうあるべきです(^^♪

 

しかし、その人達は、本物の武道家で先駆者で・・常に自分の限界に挑戦して来た方々であった・・であるから・・夢を持ち、自分を信じ・・自分の可能性を活かす事に最大限に力を注がれて来た先達です。

 

努力を繰り返せば、間違った事をして居なければ必ず結果が生まれる・・。

 

私も、人の可能性を潰す様な・・ちっぽけな人間には・・なるべくなりたくない・・

厳しい事があれば、厳しさを受け入れ乗り越える事が、その人の能力を伸ばす事であるなら・・それを、乗り越える事の出来る人は・・必ず結果を得るものです。