わかるかな~ | 夢・希望・愛 心豊かなれば技冴える  武道に感謝 心風館 館長 山村幸太朗

夢・希望・愛 心豊かなれば技冴える  武道に感謝 心風館 館長 山村幸太朗

人にはもともと自然からいただいた素晴らし能力が潜在しています。それは、すでに日常の生活に根付いている生活レベルの文化の中にあるのです。武道文化を活かし、さらなる可能性を・・眠っている潜在能力を開発する。「気」という世界観は、武道文化の中に眠っています。

毎月、ミニコミ誌(ポトス)に月一度・・広告を・・お金のかからないように・・行広告で・・たまに、写真を


載せる程度だが、家の担当者は・・私と同世代の女性・・弓道5段の現役弓道女性。


彼女には・・私の経験のない弓道の事を、いろいろと教えてもらったりしている。


しかし、Kさん曰く・・弓道は、スポーツだと・・言い切るのだ・・うーん( ̄ー ̄)・・でも・・的に当てる・・


当てたい・・当たらないと・・いう話には・・こちらから、調子はどうですか・と・・よく聞くからか・・。


昨年の夏には・・大会に出る選手団の一番偉い人になった・・とか云っていた。練習をしなければ、当たる


気がしない・・どうしよう・・丁度、仕事の忙しい時に重なってしまう・・・と・・。


弓道も型だと・・云っていた・・型の中で自分を見つめながら・・自分の内面と・・向き合う・・そして、目は


半眼で的は・・あまり観る事はせず・・・。的を観ない?観ないで当たるのか?との・・私の問に・・そうなんです


あたるんです。それが、型をするという事で・・型にはまれば・・的が観えなくても30数m先の真ん中を


射る名人もおられるのだそうだ・・が。私が、疑問に思ったのは、目の力・・が働かなくて良いのか?


それでは・・どこで拍子をとるのだ?的が無機物で・・あるがために、ただ射るだけで良いとの・・答え?


型が、どんなものかも知らないから・・その型の中に拍子が、取れるのかどうかは、分からないが・・。


胎に力を入れる瞬間・・「ウン!」となる瞬間が・・ないのか?・・そこに「丹田」を意識しないのか?


疑問に思ったのだ・・・・。新陰流の稽古の中で・・・相手の目・・力に負けてしまえば・・拍子を・・間を取られ


斬られて負ける・・氣押されれば・・当然、出る手も出ない・・すくんでしまったり、遅れて竹刀を振る事になる。


しかし・・今の段階の私への教えは・・TSさんからの教えはそうなのだ・・・が・・・・私も、眼力を相手に


送る事で・・相手の間を狂わせる事が出来ているとも・・思っている。たとえば、手を狙ったとしても、


打ってやろう・・当ててやろうという気持ちで手を凝視したりしない・・当然、籠手に打ちこむ事は、使太刀


は知っているのですから・・そこに打ち込むという気持ちを押し出すのではなく、目で相手の天辺を観る


これが、間を外しているように思えるのでしょう・・。しかし、その刹那・天辺を凝視した瞬間に、竹刀を


振り下ろすと・・わりと当たるのです。Kさんの言う半眼とは・・心を落ち着かせ・・自分の心を見つめる


?禅の位取りの、心境で当ててやろうという気持ちから、逃げる?欲を外す?そういう事で、無の境地


にての発射を、促すのでしょうか?わかりません・・が・・。


もう一つ、Kさんに投げかけた疑問があります、弓道とて戦闘の手段として、発展して来た武術、武道


のはずですが・・(Kさんは、スポーツ)と言います。その武道、武術で・・的(敵に対する戦闘的な気持ち)


そういうものは・・表現されないのでしょうか??・・と・・。これは、当ててやろうという欲の気持ちとは


違うものだと思うのです。女性に、このような質問をするのは・・良くなかったのか?と、思いつつ・・


質問してしまいました・・が・・。何故・・平和に弓道を楽しんでいる、Kさんにそのような質問をしてしまったのか・・


実は、自分の中の意識が・・そこにある事は・・間違いのない事なのでしょう。新陰流では・・いつも真剣


に打ち込む事、真剣に緩みなく型の稽古を打つ事を・・してきています。そして、緩んでいれば手には


仮借なく、竹刀が撃ち込まれます。当然、先輩や同レベルの人との打ち合いでの稽古の時で・・新し


人に、そのような事はしないのです。大先輩達との稽古の時には・・ゆるんでいては、話になりません。


そうやって鍛えていただいていると、勝とう勝とうという気持ちではなく・・型通りにやるという事は、第一条件


なのですが・・歩いてくる相手に対し、間や拍子の存在を認識せざる負えないのです。弓道をやった経験


がないので・・わからないのですが・・間や拍子・・相手にたする気持ち・・・そういうものを・・どう表すのか


気持ちが、なければ、あたるものも当らないのでは?当ててやろうという気持ちではない事は、ハッキリしているのですが・・。


新陰流の型では・・勝つべくして勝・・相手を、動かして勝・・待ではなく・・その中に先(掛かり)がなけ


れば、なりません。


弓を弾く動作が・・先を生むのでしょうか?的は・・動かねど・・その的を引き寄せてくる・・心もちが型の


中にあるのでしょうか?そうなると・・あたるという事が・・常に起きうる状況という・・ものの心理が、


必ず当たるという所・・が・・顕れてくるのでしょうか・・・?


あらあら・・つまらないたわごとで・・素人が・・いけません・・ね。しかし、弓道の心理・・ここには・・興味


を持たざる負えません。いつの日か、トライする日が・・あるのやも・・しれませんww