午前中の徳川美術館・・なぜか機会に恵まれて・・出かけてきました・・・平日の午前中・・催し物は
日本の名刀展・・・です。国宝級の古刀を中心に・・40点近い(←たぶん)が・・展示してありました。
それにしても・・わりと多くの人が・・この展示物を見に来ている事・・そして、女性が多い事が・・目に
付きました。もちろん・・展示物を見ている間の話ですから・・実際は、男性の方が多かったとは思いますがwww
さて・・10時に美術館に入り・・出てきたのは12時半です。刀剣の展示は・・後半の3室に固まっていましたから
前の部屋で、費やした時間は40分ほど・・・1時間半以上は・・刀を観ていた計算になります。
そりゃそうでしょう・・正宗を・・ガラス越しとはいえ・・30センチほどの距離から見れるのです・・まるで、
手に取って観ているかのよううに・・言い方は、やらしいですが・・・舐めるように・・身をかがめ・・光の
当たり具合を変えてみたり・・観る角度を変えてみたりと・・いろいろな方向から・・・刃紋の中を覗くように
地鉄を彩る・模様をなぞるように・・まじまじと・・です。
しかし・・気のすむまで・・観ていると・・時間はアッという間でした。正宗は、相州伝を確立させた人と言われ・・
正宗十哲などという名工(弟子)を各地に配したという功績もさることながら・・・その、出来の素晴らしさ
・・古刀の素晴らしさ・・を・・本当に表している・・代表する刀工であると、実感できたことは・・勉強に
なりました。貞宗(正宗の養子)や・・粟田口吉光・・・・刃紋、地肌なども・・目を見張り印象的では
ありましたが・・そのたたずまいが・・なんとも言えないものでありました。
幾多の戦の中をかいくぐり・・戦利品、あるいは献上品・・あるいはぶんどった・・あるひは・・交渉の
品として・・大名たちの間を・・駆け巡り・・今なおその健全たる姿を・・現代のこの静かな時代の・・なかで・・
しばし・・休息とでも言わんかのように・・・私たち?間違いなく・・私は・・目に焼き付ける事をしてきました
あの名刀たちの、風格ある気品にあふれた・・その出立。
また・・観たいですね・・正宗・・・。正宗の養子は、貞宗です・・作風が酷似しているといわれていますが、
一説では、貞宗の方が、腕が上だという事も言われています。相州と言えば・・鎌倉武士の膝元での
作刀から始まり・・北条氏に仕えた刀工群が・・現代もその名跡を残し続けています。
綱広は、代表工のひとりですが・・この綱広が・・正宗の末裔とも言われています。その綱広も
現代では
24代?位いっているのでしょうか・・・山村という・・姓だそうで・・親近感を抱き続けています。
・・初代が、北条氏綱から綱の一字を頂・・綱広に・・三代目が・・東北で・・お抱え工として上手をはせたという事を、何かで読んだ事があります。
その・・流れなのでしょうか・・山村姓の刀鍛冶が、東北に存在していたと・・・・・も・・何かで読んだが
定かでない・・あしからず・・。。