エマニエル米駐日大使とイスラエルの深い関係
アリの一言 2024年08月09日 | 日米関係とメディア
エマニエル米駐日大使は、長崎市が「平和式典」にイスラエルを招待しなかったことで長崎市長に圧力をかけるG7 の「共同書簡」の中心になり、9日の式典を欠席しますが(8日のブログ参照)、今月6日にも単独で長崎市長に「書簡」を送っていました。
「在日米大使館によると、書簡は、長崎市がイスラエルを式典に招待しなかったのは「政治的な決定だ」とし、大使自身の式典欠席を「余儀なくされた」と記しているという」(8日付朝日新聞デジタル)
鈴木史朗長崎市長が「安全上の問題」としていることについても、「書簡で、6日に広島で行われた平和記念式典に出席した際、セキュリティー上の問題はなかったとし、長崎の式典も安全に行われるはずだと指摘」(同朝日新聞デジタル)。
内政干渉とも言える言動で、駐日大使としてきわめて不見識です。エマニエル氏はなぜこの問題にこれほど執着するのか。それは同氏の生い立ち・来歴と無関係ではないでしょう。
以下、「ウィキペディア」から抜粋します。
< ラーム・イスラエル・エマニュエル(英語: Rahm Israel Emanuel)。1959年にシカゴに誕生する。父はイスラエルのエルサレム出身のユダヤ人小児科医であったが、それ以前は「オデーサ・ギャング」とも呼ばれたイスラエル右翼民兵組織「イルグン」のメンバーであった。
父方の先祖はポグロム(ユダヤ人に対する集団的迫害)でウクライナのオデーサからイスラエル建国前のパレスチナに逃亡したユダヤ人であり、母方の先祖はモルドバ出身のユダヤ人である。
彼の一族は元々アウエルバッハという姓であったが、アラブ人との抗争で死亡した彼の叔父エマニュエルにちなみ改姓した。
1991年の湾岸戦争ではイスラエル国防軍に民間ボランティアの資格で参加し、イスラエル北部の基地でトラックのブレーキ修理をしていた。つまりイスラエルとの二重国籍を持った「シオニスト」で、自他共に認める「ユダヤ・ロビー」の1人であると反ユダヤ的イデオロギーの強い敵対勢力から中傷されることがある。
1993年から1998年までクリントン政権の政策に関する大統領上級顧問となった。
2009年1月に発足したオバマ政権で大統領首席補佐官に就任。シカゴ市長選挙に出馬するため、2010年10月大統領首席補佐官を辞任。
2011年5月にユダヤ人として初めてカゴ市長に就任し、2015年4月に再選された。
2014年10月に当時17歳だった黒人少年が白人警官に射殺される事件が発生。映像の公開に事件発生から1年以上も要したのは2015年の選挙での再選を目指すエマニュエルの責任であり、エマニュエルの策略だと邪推する声が特に黒人社会を中心に巻き起こった。2019年のシカゴ市長選挙には出馬せずに5月で退任した。
2021年8月にバイデン大統領により正式に駐日大使に指名された。シカゴ市長時代にあった黒人少年射殺事件への対応を問題視する向きもあり、民主党を支持する左派団体が駐日大使指名に反対する声明を行っており、上院での承認には不透明さもあるとの報道もある。
2023年10月11日、東京都の渋谷駅前で開かれた、ハマスとイスラエル軍との軍事衝突をめぐりハマスを抗議する集会に、イスラエルのコーヘン駐日大使とともに参加し、ハマスに抗議する意志を示した。>
駐日大使としての行動で付け加えなければならないのは、ことし5月17日、沖縄県の再三の自粛申し入れを無視して、米軍機で与那国、石垣両島を訪れたことです(写真右)。
与那国では記者団に対し、「「中国」と何度も口にしてけん制…さらなる防衛力強化を訴え」(5月18日付琉球新報)ました。
「地元の要請を無視し、戦争に巻き込まれるのではないかと不安を覚える住民感情を逆なでする訪問の仕方は、外交官にあるまじき横暴な振る舞いだ。…今回の大使による陸自駐屯地の視察は、米軍の指揮の下に自衛隊が「台湾有事」の前面に出ていく想定で一体化が進んでいることを米国が見せつけたと言えよう」(5月19日付琉球新報社説)
エマニエル氏の異常な言動は、彼に特異なものではなく、クリントン、オバマ、バイデン政権で相次いで要職を歴任していることから分かるように、米政権の実態をそのものであることは明らかです。