過剰・異常な事件報道は何をもたらすか
アリの一言 2024年05月14日 | メディアと日本の政治・社会
日本のメディアの欠陥は数多くありますが、最近顕著なものの1つが事件報道の過剰・異常さです。
たとえば、栃木で夫婦の遺体が発見された事件(4月16日)は、第1報以来、連日ほぼトップ扱いで細かく報じられています。
きわめて過剰で異常と言わねばなりません。それはどのような害毒があり、何をもたらすでしょうか。
第1に、「推定無罪」に反し「人民裁判」の風潮を助長します。
刑事事件の事実経過と容疑者(起訴後は被告)の罪が確定するのは、いうまでもなく裁判においてです。
しかし、メディア(とくにテレビ)はまるで刑事ドラマのように、「容疑者の犯行」を確定的事実のように報じます。
これは「推定無罪」の原則(刑事訴訟法)に反し、「人民裁判」の風潮を助長するものです。
第2に、警察の情報操作に支配され、警察とメディアの癒着を助長します。
メディアが報じる事件の「事実」はほぼすべて警察情報です。「捜査関係者への取材で分かった」というのは警察から情報を得た、あるいはリークされたということです。
警察は情報を小出しにします。なぜそんなことがいまごろ「分かった」と報じられるのか奇異に思うことが少なくありません。それは警察が情報操作しているからです。
警察の情報操作は、記者の捜査幹部への「夜討ち朝駆け」や「会食」を必要とし、警察と記者の癒着を助長します。
第3に、「監視カメラ」への不感症を助長します。
事件報道では必ずと言っていいほど「防犯カメラ」の映像が流れます(写真右)。「防犯カメラ」という呼び方自体がきわめて政治的で、そもそもは「監視カメラ」と言われていました。その本質は、市民の監視です。
市中のカメラ設置は市民のプライバシーを侵害し、国家権力による市民監視を強化・徹底します。当初はそうした批判もありましたが、事件報道で多用されるに従い、批判は影を潜めてきました。それが警察・国家権力の狙いです。
以上は過剰とはいえない事件報道にも付随する害悪ですが、とくに過剰報道が招く第4の害悪は、本来重視しなければならないニュースを薄める、かき消す役割を果たすことです。
たとえば、今回の栃木事件の過剰報道の陰で、「軍拡(安保)3文書」関連の2つの悪法が、さして注目されることもなく成立しました(13日のブログ参照)。
また、12日夜7時のNHKニュースは、「ガザ」や「ウクライナ」のニュースより「栃木の事件」を優先しました(写真左・中)。
NHKはじめ日本のメディアのこうした過剰・異常な事件報道は、たんにニュースの価値判断の誤り・能力欠如という問題ではなく、メディアが国家権力の監視役という本来の使命を喪失していることとけっして無関係ではありません。
視聴者・読者・主権者としての市民の責任も同時に問われています。
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