自衛隊と被災者・被災地の親密さをどのように描くべきなのか? | ワーカーズの直のブログ

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日曜日記298・映画「決断」―「母子避難」と自衛隊

アリの一言 2024年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム

 

 

「3・11」東電福島原発「事故」のため「母子避難」を余儀なくされた福島10家族の証言ドキュメンタリー映画「決断 運命を変えた3.11母子避難」(安孫子亘監督)が19日京都で封切られた。

 

いくつかの「民主的集会(講演会)」で、京都に避難してこられている方から告知があり、チラシ(写真)も配られたので、公開を待っていた。

 

10家族のうち3人(女性)が避難先の自治体(県・市)の議員選挙に立候補し、2人が当選した。避難先への「恩返し」でもある。原発被害が政治意識を高めたともいえよう。

 

力強くたたかっている女性たちだが、2人から「ずっと孤独だった」という言葉が漏れた。「母子避難」の過酷さをあらためて思う。

 

取り上げられたのは、選挙や訴訟でたたかっている人たちだ。もちろんそんな避難者ばかりではなかろう。だとしても、あらためて「母子避難」「自主避難」を余儀なくされていことの不条理へ怒りが湧いてきた。

 

ところが、そんな作品の価値を台無しにするような映像が最後に流れた。

 

エンドロールの横で、「母子避難」の当事者ではない元ラジオ福島のアナウンサーが「3・11」当時を振り返って話す。「支援に来ていた自衛隊員が、『大丈夫、福島は必ず復興するよ』と言った。どうしてと聞くと『震災直後でも、2人の高齢男性が1つの弁当を譲り合っていたから』だという」(大要)。そう言って自衛隊員が励ましてくれた、というのだ。

 

一瞬、耳を疑った。なぜここで「自衛隊員」の話が出てくるんだ。最後の最後に、当事者でない人物を登場させて。

 

自衛隊と被災者・被災地の親密さを描こうという意図が安孫子監督にあったのかどうかは分からない。しかし、結果としてそういう印象を残して映画は終わった。

 

何らかの「希望」を示すエピソードで終わらせたかっただけかもしれない。だとすればこんな話で明るい展望など持てるわけがない。

 

いずれにしても、自衛隊の「災害出動」を無批判に、肯定的に描くのはあまりにも無神経だ。というより誤りだ。

 

政府が防災・災害救助に特化した組織を頑としてつくらず、自衛隊を出動させているのは、軍隊である自衛隊を社会に浸透させたいという政治的意図があるからだ。また、映画でも告発した「自主避難者」に対する家賃補助の打ちなど政府の被災者軽視と、軍事費の大膨張政策は無関係ではない。

 

この映画で政府の大軍拡政策を批判すべきだと言っているのではない。しかし少なくとも、原発「事故」とその後の政府の対応を追及するなら、そして「自主避難者」がおかれている不条理を告発するのなら、自衛隊を美化する「証言」をエンディングにすることなどあり得ない。

 

この映画を見る人は、おそらくほとんど自民党政権に批判的な人たちだろう。だからこそ、こういう形で自衛隊が肯定的に取り上げられることに危険性を感じてならない。