減り続ける都市の緑 「社会の富」守る視点へ導く3冊
中央大学機構教授 石川幹子(今を読み解く)
2023年9月23日 2:00 日経新聞 [会員限定記事]
都市では公園の緑が憩いの場を提供してきたが…… イラスト・よしおか じゅんいち
酷暑の夏が過ぎ、抜けるような秋空が広がる季節となった。アスファルト・ジャングルの都市で、公園の緑が人々に憩いの場を提供している。しかしいま、全国各地の公園で、樹木の大量伐採が進行している。典型的事例が東京の神宮外苑で、都市計画公園の指定を削除し、高層ビルを建設する再開発事業が開始され、3千本以上の樹木の伐採が目前に迫っている。
音楽家の故・坂本龍一さん、作家の村上春樹さん、浅田次郎さんらが異議を唱え、桑田佳祐さんは「Relay〜杜の詩」を発表した。ユネスコの諮問機関である国際記念物遺跡会議(イコモス)は、都市の緑の伐採が文化的資産の崩壊を招くと、緊急声明「ヘリテージ・アラート」を発した。世界の眼が、東京に注がれている。
公園の上に広がる抜けるような青空、伸びやかな緑は、すべての人々が、平等に共有することの出来る「社会の富」(コモンズ)であったはずである。
斎藤幸平著『ゼロからの「資本論」』(NHK出版新書・2023年)は、社会にとって「富」とは何かについて明快に答えている。「一人ひとりが豊かに生きるために必要なものがリッチな状態――それが社会の『富』なのです」。しかし、あらゆるものを「商品」にしようとする資本主義のなかでは「社会の富」が「商品」に姿を変えられていく。すなわち値札がついて売り物になると述べている。
外苑問題の本質は、まさにこの点にある。わかりやすく言えば「青空」に、法外な値段がつけられ、巨額の利益が都市計画の規制緩和により合法化され、特定の企業と明治神宮、日本スポーツ振興センターを潤す構図となっている。外苑は第一歩であり、コモンズの破壊は次々と計画されている。
「社会の富」を商品化して解体していくことが、資本主義社会における必然とするならば、米ニューヨークのセントラルパークに値札がつけられず、「空」も健在であるのは何故なのかという疑問が生じる。ヴィートールド・リブチンスキー著『オームステッド セントラルパークをつくった男』(平松宏城訳、学芸出版社・22年)は、一人の人物の生涯を描くことにより、この深淵な問いに答えている。
オームステッドは、1822年生まれ。81年の生涯で、都市公園だけではなく、国立公園を始めアメリカにおける「社会の富」としての緑を、グリーンインフラとして構築した人物である。その経歴は、船員、農場経営、雑誌出版者、南北戦争への従軍、そして大規模都市公園の建設と多岐にわたるが、セントラルパークについては、次のように書き記している。
「公園の中で、建物というのはほとんど必要のないものです」。公園は「街路によって閉じ込められ管理された鬱屈した場所から逃れてここを訪れる人々が、ほっと安堵を感じ、すべての人にとって大きな自由が広がる」空間であり、目指すべきゴールは「市民と社会に資すること」だった。
セントラルパークは1970年代には「建物は捨ておかれ、落書きだらけ、荒廃と犯罪の温床の場への恐怖から、人々もそこには寄り付かなかった」という歴史がある。「民主主義の庭」という原点に回帰し、文化としてよみがえらせたのが市民の力であった。
身近な暮らしの中で、文化としての緑を象徴するものが街路樹であるとして、世界の街路樹の歴史をひもとき、日本の都市の未来を論じているのが、藤井英二郎著『街路樹が都市をつくる』(岩波書店・19年)だ。藤井は立派な街路樹がある一方、虐待のような仕打ちを受けている街路樹が少なからずあることを憂い「木を見る目、その発想を大きく転換すること」が重要と述べる。心の中にある「内なる自然」に従い「街路樹をのびのびと育ててゆく、痛みを感じない生き方が求められている」。豊かな樹林の上に広がる青空は、値札をつけて売買されるものではない。日本人の原点が問われている。