《読書室》加藤 哲郎氏著『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』平凡社新書
この著作は、加藤氏自身が2004年にアメリカの国立公文書館で発見した戦略情報局(OSS)の機密文書「日本計画」[最終草稿]についての著作です。
この「計画」は、1942年6月の時点で、つまり真珠湾攻撃から僅か6ヶ月後のことなのだが、既に戦後日本の象徴天皇制を構想した驚くべき計画でした。
もちろんこの結論に至る研究はその前から行われていました。
それでは、本書の章別構成を紹介しておきます。
プロローグ
第一章 象徴天皇制を巡る情報戦
第二章 一九四二年六月の米国[日本計画]―最終草稿の発見
第三章 戦時米国の情報戦体制―戦略情報局(OSS)の調査分析部
第四章 「敵国日本」の百科全書―真珠湾攻撃時の調査分析部極東局
第五章 「平和の象徴」天皇観の形成―「日本計画」第一・第二草稿
第六章 もう一つの源流―情報調整局(COI)の「四二年テーゼ」
第七章 第三の系譜―英米共同計画アウトライン
第八章 「日本計画」と「ドラゴン計画」―対中国・朝鮮戦略との連動
第九章 「日本計画」をめぐるOSS対OWI―マッカーサー書簡の意味
第十章 「日本計画」と象徴天皇制のその後―心理戦・情報戦は続く
エピローグ―研究案内を兼ねて
以上ですが、小著ながらその全面的な考察に私などは驚かされてしまいます。
ここで話は代わりますが、湾岸戦争の開始日つまり1991年1月17日、アメリカ軍を中心とする多国籍軍が対イラク軍事作戦である「砂漠の嵐」作戦を開始して、イラク各地の防空施設やミサイル基地を空爆しました。
私の記憶ではフセインがいると考えられていた大統領府には、当然の事ながら2・30発のトマホーク攻撃がなされたのです。
そこで翻って皆様に質問いたします。日米開戦当時、何故開戦の当初に皇居に対する激しい爆撃がなかったのですか。
また皇居が戦災にあった日付は一体何時でしょうか。知っている人なら直ぐに応えられます。答えは、1945年3月30日の東京大空襲の日です。
ここで注目すべき事は皇居は爆撃されてたのではなくて、この日爆撃した米軍が意図も想像もしなかったのですが、期せずして戦災に遭ってしまったのです。
なぜなら日米戦争では一貫して皇居は爆撃目標から除外されていたからです。そもそも米軍には開戦当初から天皇利用計画があり、その為に天皇が居住する皇居を爆撃をしようとの意思は、端からからアメリカにはなかったのです。
その事の何故かを徹底して解明した本がこの本です。
皆様のために今ここでのネタ晴らしは控えたいと考えます。ぜひ読んでみてください。
その意味において天皇制は、つまり「国体」は占領軍と当時の日本側の必死の努力と折衝によって辛うじて「護持」されたのではなく、その実はアメリカの主体的な決定による「日本計画」によりただただ利用されたにすぎなかったのです。
まさに真実はかくも重くかくも隠されてきたのです。
もし貴方が戦後の象徴天皇制には今では大して意味はないと考えているのなら、是非この本を読んで今後のためにも真剣に考え抜いて欲しいと私は考えています。