おはようございます。
先日総合病院で、頭から脛まで、全身タトゥーが入っている青年と通り過ぎました。
とても表情が暗く、おどおどした感じがしました。
お父さんらしき方とご一緒でした。
その昔、まだ「タトゥー」という言葉が一般的ではなかった頃。
日本では「刺青」と言われ、任侠の人が入れるものだという認識がスタンダード
だったと思います。
でも一部、単に個人的趣向として任侠でなくても刺青している人もいました。
しかし一般的にそれを好んで入れる人はいなかったと思います。
それは多分「そんなものを仮に入れて、他人からの評価を下げられたくない」という
意味が一番じゃなかったかと思います。人生設計の中で「無駄なこと」みたいな。
一方ヨーロッパ・アメリカでは男女問わず、何かの記念とか、割とファッション的に
気軽に入れていたのがタトゥーです。
当時も外国人はたくさんそういう方がいらっしゃいました。
時代は変遷し、今の世の中は結構広域にタトゥーを入れている人を日本人でも見かける
事がありますね。
「自分の表現」「自己主張」「自分らしさ」などなど…
以前「強くなりたいと思ったから」といってタトゥーを入れたという青年の話を見ました。
確かに、タトゥーが広域に入っている人は強そうな感じです。
私もそう思います。
でも本当に、その彼が「強くなりたい」という思いの通りに、そのタトゥーは効力を発揮
するでしょうか?
本人は痛みに耐えて、他人に晒し、その視線に耐えることで「強くなれる」のかもしれませんが
それを見ている「他人」の方は、ああ、彼は痛みに耐えてあれだけタトゥーを入れる根性が
あるんだな、立派だな、と思ってますかね?
自分の中で「強くなりたい」何かがあるんだとすると、タトゥーより山伏の修験でもした方が
良いのではないかな~?と私は思ったりします。
「あいつ、あんなにタトゥー入ってるけど、優しくていい奴なんだ」という人もあるでしょう。
でも、一般的に見える範囲にタトゥーを入れて歩いている人を、一般人は避けて通ります。
つまり他人との交流のチャンスは格段に下がります。
中にはそういう表面的なことは気にしない、という今どきの思考の人もいるでしょう。
でもその低確率の中で交流を持てた人に、自分を分かってもらうために説明する必要がありますよね。その過程で離れて行ってしまうかもしれない。必ず友達になれるわけではないでしょう。
そう考えると、自己主張の意味合いでタトゥーを入れるという事は、結局は他人を遠ざけ、
孤独を呼び寄せるという事なんじゃないか。
孤独→孤立→貧困・飢え→非行・悪行 という流れはあながち間違っていないんじゃないか。
私はそう思います。
自ら「孤独」になりたい人って、誰にも近付いてきてほしくない人って、いるんですかね??
そう思っている方にはタトゥーや刺青は効果的ですが。
アメリカ人が言っていました。
「日本人は海外ではタトゥーはカジュアルだと思っているけど、まともなビジネス界隈ではタトゥー入れてる人なんていないし、あれはやんちゃな奴が入れるものだ」という事でした。
あ~…そうなんだ、へぇ~~…。
その根本的なところにも誤解があるかもしれないです。
病院ですれ違った、表情の暗い全身タトゥー(顔にも、です)の青年。
どうしてそんなに入れちゃったのか、そして消すことも難しいと思いますが、通院する原因の
病気が治って元気に生きていけるようにと、そっと祈りました。