【52】からのつづき
バス停のある滝山街道から住宅の並ぶ細い道に入ると、そこはかつての大手口にあたる場所で、バス停から3分も歩くと、滝山城内につづく竹林の天野坂が始まる。
クランク状に敷かれた坂道を登り、左手に家臣屋敷のあった小宮曲輪を見ながらさらに進むと、右手には三方を空堀に囲まれた三の丸跡が現れる。![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240528/07/bu10kb/95/5a/j/o1080081015444324518.jpg?caw=800)
千畳敷をあとに二の丸を突破して、いよいよ本丸に迫るべく大堀切(本丸を囲む人工の堀)につづく坂道を降りる。![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240528/08/bu10kb/0f/42/j/o0810108015444336861.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240528/07/bu10kb/95/5a/j/o1080081015444324518.jpg?caw=800)
小宮曲輪と三の丸の間には、敵を迎え撃つための「枡形虎口」(出入り口)があったらしいが消失している。
かつての城の様子を拡張現実で知ることができる「AR滝山城跡」なるアプリがあると看板に案内があったのでQRコードを読み込んでみるものの、「以前のバージョンで製作されているため、このデバイスでは使用できません」といった表示が出る。
さらに進むと、左手に「千畳敷」と呼ばれる広場があり、鳥の声に癒されながらひと息。![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240528/07/bu10kb/28/0c/j/o1080081015444330403.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240528/07/bu10kb/28/0c/j/o1080081015444330403.jpg?caw=800)
広い場所を表す「千畳敷」は、あちこちで見られる呼び名だが、こちらは約60メートル四方の正方形に近い大きさで、集中防御エリアである二の丸を守るための兵馬が控えていた「角馬出」があったほか、城下の民が年貢を収めたり、願いを訴えた役所的な場所でもあったそうだ。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240528/08/bu10kb/0f/42/j/o0810108015444336861.jpg?caw=800)
土曜日にもかかわらず、これまで人の姿を目にしなかったが、この坂で小型犬を連れた夫婦らしき2人組とすれ違う。
多摩川の対岸にある拝島駅に乗り入れているとはいえ、八王子市内にこの会社の管理地かぁ、と思いかけて、この先に「西武滝山台」というバス停があることを思い出す。
西武リアルティソリューションズのホームページを見ると、分譲住宅地「西武八王子滝山台」は昭和51年に分譲開始、分譲実績は400戸とある。
大規模分譲を見越して滝山城跡の隣接エリアまで買い占めたものの、バブルが弾けたことに加え、その後の急速な人口減少により塩漬けになったものと思われる。
ちなみに、八王子市内に西武が同時期に分譲を開始した「八王子ニュータウン西武北野台」の実績は2100戸となっており、滝山台もそのレベルまで分譲が進んでいたら、「かたらいの路」のすぐ脇まで住宅街が浸食していたのだろうか。
滝山城跡では兵(つわもの)どもの夢のあとに触れた気がしたが、この看板には昭和の日本が抱えていた業(ごう)のようなものを感じる。
複雑な気持ちで加住丘陵から階段と坂道を下ると、そこは国道16号で、すぐ脇には「西武滝山台」の停留所がある。
時刻表を見ると、土休日の京王八王子駅行きは午前・午後各1本。
うれしいことに午後の便があと7分でやってくる。バス旅の太川陽介のような気持ちで最終便を待っていると、発車時刻を3分ほど過ぎた頃、小渋滞が発生している八王子方面向け車線にオレンジのバスが見える。
昔は八王子駅周辺で「西武滝山台」の行き先を掲げたバスを時々見かけた気がするが、今では京王八王子駅と拝島駅を結ぶ超ローカル路線の途中停留所になっているようだ。
私を含め5人を乗せたバスは、国道16号を左入橋交差点で右折してから新滝山街道を数百メートル進み、都内唯一の道の駅「八王子滝山」の前を左折、ひよどり山トンネルを抜け浅川を渡ると、西武滝山台から約20分でJR八王子駅に到着した。
滝山城跡の静寂が嘘のような賑わいをみせる夕暮れ時の八王子駅前で現代に引き戻され、その勢いに乗じて入った居酒屋で、北条氏照が治めていた頃の八王子を想像しながら日本酒を呑んだ。
(おわり)