昨日は久しぶりに、東京へ個人セッションに行かせていただきました
![ニコニコ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif)
新幹線から見える、勇壮風靡な富士山が在り方を示しているようで、
まさに、天晴れとしか言えないような、感無量なお姿です
![パー](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/106.gif)
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![__ 2.JPG__ 2.JPG](https://stat.ameba.jp/user_images/20140112/21/bu-chan1960/92/d2/j/t02200165_0800060012811933573.jpg?caw=800)
葦原(あしはら)の瑞穂(みづほ)の国は 神(かむ)ながら 言挙(ことあ)げせぬ国
日本という国は、いちいち言葉に出して言わなくとも
天地自然の道理に従い、神の如く生きる国であるという意味ですが。
『神ながら』とは・・・、
神の御心であり、天地自然の道理でもあり、人知では計り知れない
ご存在に対して、随(したが)いながら生きていくことであり、
その道が「神ながらの道」になるでしょうか・・・・
日本人の霊性の根本にある神道では、具体的な教えを言葉や文章として遺していませんが、日本の文化や風習、特に日本人のこころに脈々と受け継がれてきています。
「神のご意志のまま」に、「神の意に背かない」生活を常に心がけること。
「教えられたことを忠実に守る」のではなくて
「おのずから神の意志というものを推し量って生きる」
そのような生き方が「かんながらの道」であり神道なのだと私は想います。
また、「神ながら」には、神さまにおまかせするという意味合いもあります。
目の前に起こることを裁かず、受けとめ、神さまに守られている
ことを感じながら、自分の今できることにベストを尽くす。
そして、後のことには執着せず、結果は神さまにお任せするという
「人事を尽くして天命を待つ」生き方が、神ながらの道なのかも知れません。
雄大なお姿を拝して、日本に生まれて来たことに
誇りを持つことと、感謝の心で満たされた一時です
![パー](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/106.gif)