3月11日 | 21century-lover

21century-lover

日々のキラメキや好きなもの。






9年前の今日も
午前中は春を感じさせるような
良い天気でした。










ここから下は
重めの話が含まれます。
怖がりの方は読まない方が
いいかと思います。

興味のある方だけお読みください。


























9年前の今日
仙台から遊びに来る友人を迎えに
港の方にある小さい駅まで
行きました。
それがいつも利用していた駅や
街並みを見た
最後でした。


私が住む町は
リアス式海岸という山が海になだれ込んで
できた地形で
道のアップダウンが激しく
住宅地は狭く、津波にのまれたのは
主に埋め立てをした港の広い地区や
内湾に面した旧市街や
私が住んでいたような海辺の小さい
集落でした。


高台にある小学校に
息子が通い始めた頃から
『大きな地震が起きたら絶対迎えに
行くから、家には帰ってくるな』
と教えていましたが

そういえば、主人には言ってなかった事に
震災の日に気づきました。


友人と高校の受験期間中で
家にいた息子を連れ、逃げた後で
私たちを心配し主人は家に帰ったと
電話をくれたので、早く逃げるよう催促
しました。


主人は近所に住む
運転が上手じゃない叔父さんを
車から降ろし、歩いて向かいの神社に
登ったら5分程で津波が来て
街が失くなるようすをLIVEで見たそうです。


若いのに変に信心にはこだわるし
年末年始には家に祀ってある神様を
拝んで柏手を打ち満足していた主人が


土台だけになった家を見て
『あれだけちゃんと(神様を)拝んでたのに
』と悔しがっていたので
きちんとやってたから
我が家の神様が沖にいって
海の神様に、うちの人逃げてるから
あと5分待って!ってお願いして
くれたのかもって話にしときました。











叔母一家4人は震災から半年たって
車に乗ったまま海中から見つかりました。

その下の叔母もその家のおじいさんも
主人の従兄も津波でなくなりました。

義理ではあったけど
皆、善人で良い人達でした。


あの当時は唖然というより
自分の回りの景色を見回すと
諦めしかありませんでした。



至るところに
人の死があり、遺影が複数あるお葬式に
出たのも一度や二度では
ありませんでした。



毎年毎年起きる災害に
同じような思いをされた方も日本中に
たくさんいらっしゃると思います。




人の命を失う
苦しみや痛みや悲しみを思えば
家が失くなろうが街が失くなろうが
なんとでもなります。


何があっても命が一番大事
何かあったらどうするか
家族バラバラの時、どこに逃げて
どこで落ち合うかコロナで皆家にいる今
じっくり話合われること切に願います。



何もない普通の日々が続きますように
良いことなんてなくていいから
悪いことが起きませんように。

って今も前代未聞の
普通じゃない日々ですけどね


過ぎた日に哀悼は捧げたので
あとはコロナの特効薬が
1日も早く出来ますように