レオの空手稽古を見て | ウッドデッキDIY☆MCヨッチャンのBlogⅡ

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究極のDIYって多分、人生を送る事!

MCヨッチャンです。

1か月ぶりになりますが孫の空手の

稽古の様子を見に行きました。

夏至も過ぎて暫くは陽の長い日々になります。

空手の稽古に行く時も外はまだ明るく、

これで湿度が低ければ快適な季節なんですけどね。

孫に空手の稽古をさせて半年以上が経ちました。

初めは

「1時間、ここに一人で居る事が出来れば

御の字」

という思いで毎回送り出していました。

それから園でも年中さんになり、

道場へは同年の子や少し上の子たちも

入門して来ました。

まだ、腕立て伏せや開脚、

そして安座(胡坐)が上手く出来ないけれど

孫は孫なりに嫌な顔もせず、

真面目に可愛くやっています。

今回、1か月ぶりに孫の動きを見て

私なりに

「成長してるじゃないか」

と思いました。

ママは

色々と小言を言いますが

先生に厳しく言われている

「自分の事は自分でやらせて下さい。

道具や防具の出し入れや装着も

保護者の方は手伝わないで下さい」

との言を守っています。

孫は甘えて来ますが

ママはそこは先生の言いつけ通り、

厳しく対処しています。

本当に母親代わりです。

そして師範も大変だ。

全国大会を目指すようなアスリートも

教えますし

小中高と育ち盛りの子たちも教える。

更にレオのような幼児も教えると言う事で

正に

「空手の道は人の道」

ですね。

次の日は名古屋まで所用で

家族でお出掛けしまして

帰りに久しぶりの南区は大江のアピタに

立ち寄りました。

ここ名古屋南区道徳という町は

私の生まれ故郷でもあります。

名古屋の街は一部地域を除いて

道路が東西南北垂直に走っています。

太平洋戦争では名古屋城天守閣も消失し

街はB29による焼夷弾で焼け野原にされ、

その後の都市整備も道半ばで

伊勢湾台風で壊滅的な被害を受けまして、

しかもこの道徳という町は海抜マイナス地帯。

祖父の話では伊勢湾台風の時には

貯木場の丸太や

人や家畜、

野菜や缶詰が大量に流れてきたと。

翌日の道路の電線には人が引っ掛かって

いたと。

その伊勢湾台風復興の時に日本中から

土木建設作業員の方々がやって来て

そのまま残ってくれて事により

名古屋という都市はリトル日本のような

街になりました。

昔は町には路面電車が走り、

堀川では盛大なお祭りが有って

名古屋港は全国でも屈指の商業港で、

誠に良き都市です。

単身赴任者や土木作業員が多く、

なので喫茶店や床屋さん、

そして銭湯に風呂無しアパートが異常に

多いと言う地区も有り、

私の故郷であります南区の道徳は

正にその縮図のような街でした。

ついでに言うと、

フィギュアスケート競技のメッカとして

今でも名古屋は有名ですが

その出発点となったのがここ

「道徳」という町です。

昔、道徳の中央に観音山公園が有って、

そこには2階建ての建物と

人口の滝が有りました。

その下に名古屋で初のアイススケートリンク

が有ったんです。

当時は日本代表選手もここへ来て

滑っていました。

そんな街、「道徳」

私の生まれたラシイ町です。

長男が養護学校に入る直前まで居た

南区ですが

久し振りに来ると

色んな事を思い出します。

レオの空手がどこまで

登ってゆくのかを楽しみにしながら

何時か、この街を足で歩いてみたいなと

思います。

その時は私が通った

小学校や中学校も

案内してあげようかな。

爺ぃじはここで体操選手を

やっていたんだよと。

伝えたいな。

頑張れ、Reo!