鎌倉幕府は何故天皇家を滅ぼさなかったのか? | 本当の日本の歴史と、日本人を知って、自信を持つ日本人になるためのブログ

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日本の若者に、我々の先祖は、今を築いた立派な人達であることを理解してもらい、未来を切り開く自信を持ってもらうためのブログです。

閉塞した現代日本社会を打開するためにも、日本人としての自信を取り戻す必要があると考えており、そのための分析も試みています。

鎌倉幕府の成立とは、軍事力及び、政治決定力の統率者が、大和
朝廷の天皇から、鎌倉幕府の将軍に移ったと言うことだ。

これ、要するに、天皇は日本国の国王から滑り落ちちゃって、そ
の位置に幕府の将軍がなったと言うことである。

普通の国なら、新しい王家が成立したと言うことであれば、将来
の禍根を防ぐためにも、前代の王家は滅ぼすものではないだろう
か?

実際の歴史を見ても、鎌倉幕府は後醍醐天皇に潰されているわけ
だし、江戸幕府だって、天皇家を担ぎ上げることに成功した、薩
長に潰されているわけだ。

その禍根の根をたたなかったから、それが起きたのである。代々
の幕府はなぜ、天皇家を滅ぼさなかったのだろうか?

そこのところに、実は日本の宗教の大きな特長がある。

日本には、「さわらぬ神に祟りなし。」という諺がある。

つまり、下手にさわるから祟りをなすのであり、さわらなければ
何もしないのが、日本の神様なのである。

それを取り潰したり、焼き払ったりするから、祟りをなすのであ
り、それを尊重しつつ放置しておれば、神様は何もしないのであ
る。

だから、庶民の方も、あえてさわらない。

参考:「日本の神様」

代々の幕府の対応は、明らかにこれである。

つまり、祟りが怖くて、取り潰せず放置した。

あるいは、それを取り潰した結果起こるであろう、国民の反発が
怖くて出来なかった。ということである。

日本の宗教は、「非業の死を遂げた人は、その怨念が死後も残
り、祟りをなす。だから、極力その発生を回避しょうとする。」
これにつきるのである。

だから、それが神と言うことであれば、誰もさわらない、これが
日本に世界最古の王家の血筋が残った理由である。

また、これは政治をするというという権力は幕府に移ったけれど
も、宗教的な権威は天皇に残ったということであり、鎌倉幕府の
成立を持って、日本は政教分離の国家体制になったということで
もある。

これ、その後に鎌倉仏教の隆盛があったりして、単純に西欧のそ
れと比較は出来ないけれど、1192年という、極めて早い時代で
あることは、きちんと認識すべきことである。

また、天皇家がここで政治権力を手放したことにより、それを維
持する機能は逆に高まったことも重要である。

幕府は、鎌倉、室町、江戸の3つあるわけだが、元寇があった
り、黒船来航があったり外圧の影響もあるわけではあるが、基本
的には、政治判断のミスにより滅亡しているのである。

ところが、天皇は政治判断をしない、だから判断ミスも当然しな
い。だから、滅びることがないのが、道理である。しかも、明ら
かに日本の宗教の教皇であるのに、信教の自由まで、平安時代か
らある。

参考「信教の不自由な宗教と信教の自由な宗教」

弱さこそ強さの秘訣という、不思議な存在、かつ、日本の歴史を
客観的に見るならば、それがあるために、我が国は平和的かつ安
定的に発展してきたと、評価することが出来る。

参考「天皇制という奇跡」

この、権威と権力の分離こそが、日本人の最大の発明ではないか
と、思うわけである。

で、この辺の事情は70年前の出来事と、その後の成り行きにも、
完璧に当てはまるということが出来るのである。



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