リーダーシップとは、何を成すべきかの目標設定を行い、その実
現に対し、必要な人材を見出だし、適材適所に人を配置し、人々
の共感を得てその実現を目指す能力のことだ。だから、この能力
のあるなしは、必ずしも勉強が出来ることとはイコールではない。
僕が大学を出て就職した会社は一部上場の、大学生就職人気企業
ランキングの常連になるようなメーカー系の大企業だった。だか
ら、その社員の出身大学のブランド力ったら半端なかった。早慶
あるいは、旧帝国大学の理工系出身者がごろごろいて、僕なんて
偏差値的には見劣りする大学の出身だった。
しかも、入社して配属された部署の上司が、結構リーダーシップ
のある人で、明確に目標を説明し、部下に期待することを説明
し、仕事を任せてくれる人だった。当時僕は新人だったから、
それが当然だと思っていたのだけど、まもなくして、その人海外
に出向になっちゃって、後釜になる上司がやって来た。
で、その人開口一番、今までの上司のことをこう言ったんだ。
「あいつは、適当でいい加減だから駄目だ。」って。で、なにや
りだしたかと言うと、自グループのメンバーの業務分担書とか、
計画案とか、そういう書類を部下に示して、この計画通り厳格に
業務を遂行するように求め始めた。でも、その業務分担たるや、
「本当に、その人の適性考慮して考えたの?上から順番に割り振
ったんじゃない?」としか、僕には思えなかった。だって、プロ
グラミングに能力のある人に、交渉の必要な仕事をさせてみた
り、その逆をさせたりしているんだもん。
案の定、人間関係がおかしくなり、うまく回らなかった。「そり
ゃそうだよな。そこに適応する学問は、数学、あるいは工学では
なく、心理学じゃない。」あるいは、「人の適当を非難する前
に、適当な人選をせんか。あいつはリーダーなんだから、指し
示す方向と人選を間違わなければ、適当でも良いんだよ。細部
は優秀な部下が詰めてくれるんだから。」と僕は思った。
ところが、その会社でのその後の経験によると、僕の人物評価
は、会社の主流ではないと考えざるを得ない人事が多かった。
この人はオリジナリティーがある、あるいは人材を見抜く力が
あると思う人は、あまり評価されず、一見きちんと計画して沢
山の人を使って大規模な開発をしていても、それは競合他社の
物真似じゃないというような人が評価されているようだった。
そういう人達からは、僕も随分適当でいい加減に見えたことだろ
う。
だけど、その会社の今の苦境があるのは、そういう人事をやっち
ゃったからとしか、僕には思えない。その結果、僕が優秀だと思
ったその上司も、僕ももう辞めた。
その後大リストラになったわけだけど、聞くところによれば、僕
が優秀だと思った人ほど辞めているようだ。どう考えても、早く
やめた人ほど優秀だと思える。数学バカが数学バカばかりを評価
して、リーダーシップのなんたるかが分かってないんだから、苦
境はまだまだ続くんじゃないかと僕は思う。
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