差別とは一体なんだろうか。なんとなくわかるけどわからない。区別とは何が違うのか。明確にしようとすることは少し危ないのかもしれない。様々な文脈で様々な使われ方をするこの言葉について、差別ってなんなのか、少し考えてみたい。
差別と区別。似たような言葉だが、少し違うだろう。様々な意味合いがあるが、差別は人に対して行われ、区別は人も含めものに対しても行われるというのが、それぞれのイメージである。確かに差別は人に対してしか行わないし、区別はそれ以外にも行われるだろう。(反例があればご教授ください。)
差別と区別の違いは他にもあるだろう。人種差別とかの意味で使われる差別は、人種によってその人がどういった人間かを判断することだろう。しかし、区別とは、客観的に人種で分けていることなのだろうか。おそらくそこに主観を極力入れないようにする努力はしているのだろうとは思う。
ではこのように言えるのだろうか。
差別とは・・・人に対して行われ、かつ外見で主観的に判断すること
区別とは・・・人やものに対して行われ、できるだけ客観的に分類すること
と言えるのだろうか。
では、次に男女差別についても見てみよう。これもかなり問題になっているものだが、最近は LGBTQなどと言ったセクシャルマイノリティについての差別も(同様に、と言っていいのかはわからないけど)あるのでそこについても踏まえて考えてみたい。それらについて考えてみるに、性的な差別は外見だけではなく、内面についても差別があるということだろうか。しかし、外見と内面が一致していないという点で差別があるということは、外見が判断基準になっていることなのであろう。
以上を踏まえると
差別とは・・・人に対して行われ、かつ外見からその人の人となりを主観的に決めつけること
区別とは・・・人やものに対して行われ、できるだけ客観的に分類すること
あたりだろうか。
なんとなく定義を決めてみたが、それだけでは足りないような気がする。
差別とは・・・人に対して行われ、かつ外見からその人の人となりを主観的に決めつけること
としたが、不十分だと思われるということだ。
水原希子は、ルッキズム(外見主義)というものを批判しているが、これも確かに差別に値するだろう。見た目で人のランクを決めるなということだが、それは上述した差別の定義のようなものにも合致する。ここで、私が思うのは、見た目で判断するのと、見た目を評価するのは違うのではないかと思っている。例えば、この人の顔は綺麗だ、だけでは差別にはならないということだと思う。それを誰かに押し付けるのが差別になるのだろう。少し抽象的な言い方になったが、なんといえばいいか難しい。しかし、綺麗な顔をランク付けすることは誰かに押し付けるということであると言えるだろう。
少し話は変わるが、差別の定義が少し気になる。人に対して行われ、かつ外見からその人の人となりを主観的に決めつけることと言ったが、おそらく外見だけではないのだろう。アイヌ民族に対する差別や部落差別など日本にも差別というものがある。これは、外見で差別することとは少し違う。立場や社会的地位というべきかわからないが、そのようなものだと思う。つまり、差別とは・・・人に対して行われ、かつ外見やその人の社会的地位などからその人の人となりを主観的に決めつけ、押し付けることと言えるのだろうか。
「生きろ。そなたは美しい」もののけ姫のアシタカのこの名言も差別になるのだろうか。押し付けてる感じがするけど、、、どうなんだろう。